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成年後見制度能力判定CONCEPT

成年後見制度能力判定

新成年後見制度の鑑定、能力判定のあり方 ―能力判定からニーズ判定へ-
山﨑眞弓 (031-800205-5)
放送大学大学院 文化科学研究科 政策経営プログラム(2005年卒 修士論文)
(卒後指導教官の指導添削を数回うけて、2006/08頃脱稿 )
2015/09/22ブログ 成年後見法の問題はこちら>>                   (2015/09 赤字部分、その他加筆訂正)



目次

第1章 はじめに

第2章 新成年後見制度制定時の論点と新制度の体系   

第3章 成年後見法の改正の背景
①制度の指導理念―ノーマライゼイション
②民事法を巡る動向
ⅰ)高齢化社会の到来
ⅱ)契約原理の変動
オ)市民法的現実と成年後見制度

第4章 新法の運用状況
①全体的傾向
②身上監護ニーズによる成年後見利用 
ⅰ)身体機能減退による利用者ニーズ 
ⅱ)軽度の精神障害ある利用者ニーズ
ⅲ)小額の金銭管理ニーズ 

第5章 新成年後見制度の能力判定と鑑定
①精神疾患の存在
② 生活障害とICF(国際生活機能分類)
③事理弁識能力(財産管理能力)の程度
※(財産管理と身上監護・二つの事務に関連して)

第6章 鑑定の運用とニーズ 
①補助と保佐の境界とその事例
②後見と保佐の境界とその事例
③自閉症におけるニーズと鑑定
④まとめ

第7章 意思能力の有無に関する判例とその判断軸
①判例の検討
②意志能力有無の判断軸は何か

第8章 能力判定を巡る論点
①法律家の学説に関連して
② 医学者による提起  
③ドイツ法、コモンロー諸国の動向
  
第9章 能力概念に関連して
―新成年後見法の鑑定において問われる能力に関連してー
① 医療同意能力
② 過失論の展開に関連して 
③鑑定とノーマライゼーション

第10章 考察       
おわりに

参考文献(1~118)            

付録   
・表Ⅰ)成年後見制度の基本構造と日弁連の大綱の比較表
・表Ⅱ)ICFの概観(『国際生活機能分類―国際障害分類改訂版―』 P10 中央法規 2003年3月より引用 )
・表Ⅲ)判例に見る契約時の意思能力と各種ファクター
・表Ⅳ)補助および保佐事例の概要(斎藤正彦鑑定事例から見た能力判定の判断基準 実践成年後見N0.6 民事法研究会 P35より引用)



第1章 はじめに


 新成年後見制度は2000年4月の施行から4年が経過し、制度の利用者数は年々増加している。その運用の実態が最高裁のホームページに統計資料として公開されており、4年目平成15年度においては、任意後見監督選任を入れて後見等申し立て総数は17,483件となっており、うち認容14,156件となり、このうち85%が後見類型である1) 。新設された任意後見契約締結は2521件、また補助類型は申し立て855件うち670件が認容された。旧制度下最後の1999年度は禁治産認容2963件、準禁治産認容671件と比較すると、初年度後見等申し立て9007件以降順調にその利用が伸びているといえよう。また、申し立ての動機は財産管理が圧倒的(60.1%)だが、次第に身上監護を目的にする申し立て(17.4%)が増えている2)。
 新設された補助類型は従来の法定後見では含み得なかった「軽度の精神障害」により判断能力が不十分とされる人を対象とした制度であり、その運用の仕方では一元的なドイツ型の制度のように自己決定に配慮し、利用者ニーズに弾力的に応えられるとして注目された3) 。またもう一つの新制度である任意後見制度は、法定後見より優先する事(任意後見優先の原則)とされ、国家の関与をできるだけ制限して私的自治や個人の自己決定を尊重する制度として期待された。現時点では、ともに新制度は発足当初期待されていたほどの利用がなされていないが、今般、社会福祉士への身上監護を目的とする後見等の後見人候補を求める動きも活発になっている。若年障害者の後見制度利用開始とともに、新制度によって初めて可能となった補助類型利用や、身上監護事務を目的とする利用も社会福祉士会によせられつつある。この制度は,施行4年を経過して初期の期待に答えつつあるのだろうか。
 最高裁判所事務総局家庭局は平成12年1月に「鑑定書作成の手引き 4)」をしめして鑑定書のモデルを障害種別に顕かにした。鑑定は成年後見制度の能力判定、法律的能力の判定に際して最も重要とされる判定の為の資料、「医学的判断」である。この法的判断は、制度の利用者の選別を行い、個人の行為能力制限を開始する制度の入り口である。
 新制度の運用を巡って様々な取り組みが行なわれ成年後見による支援システムの構築が進んでいるが、鑑定のあり方が制度の基本設計に及ぼす影響は大きく、成年後見制度の3類型、身上監護事務の範囲、身体障害による意思表示困難の扱い、被後見人の費用負担問題にも影響が生じよう。成年後見制度の類型を審判する時に検討される個人の法的能力と、鑑定により検討される能力の関連はどのようなものだろうか。
 法的能力を判定する場合の判断軸、その判断軸と鑑定や医学的資料との関係、さらに法律的能力判定において問われている能力概念と成年後見法の目的、利用者ニーズ、ノーマライゼーションと障害者保護などを検討しながら、鑑定の運用と、成年後見法における能力判定のあり方をさぐりたい。 

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2章 新成年後見制度制定時の論点と新制度の体系
 2000年4月施行された新成年後見制度は、①民法の一部を改正する法律(法定後見制度の改正)、②任意後見契約に関する法律(任意後見制度の創設)、③民法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律、④後見登記等に関する法律という4本の法律をもって、意思能力に問題があるとされる市民(精神障害者、知的障害者、痴呆とされる高齢者)の民事的な契約や、意思表示を行うにあたっての、法的な効力の確定のためのルールを新たにしている。(法定後見を3類型として補助類型を新設し、任意後見制度を新設した。また後見登記の新設、後見人などの援助者の要件、援助者の権利、身上配慮義務の明文化、家庭裁判所の後見監督の内容を新たにした。)
この成年後見制度の改正にあたり、法制審議会は約2年間の検討を踏まえた「成年後見問題研究会報告書」をうけて、民法部会の中に成年後見に関する特別小委員会を設置し、同委員会を中心にする急ピッチの議論をへて、平成10年(1998年)4月14日、「成年後見制度改正に関する要綱試案」をまとめて発表した。次いで同審議会は同試案に対する意見照会を法曹界を含む各界に行った。
それに先立つ事4ヶ月前、1997年12月5日には日本弁護士会連合会(以下日弁連)は、「特別小委員会の議論参考に供する為」として、法務省研究会報告書に対する日弁連としての批判的意見を急遽取りまとめて「中間意見書」として法務省宛提出していた。その議論をふまえ、日弁連は広く国民的な議論がなされるにあたり「参考に供すべく」として、同年4月17日には最終意見をまとめて、法務省の要綱試案への対案「成年後見法大綱 5)」を発表している。
法務省の要綱試案に対してこの制度の利用者と目される側からは、全国自立生活センター協議会(JIL)、差別と戦う共同体全国連合(共同連)、障害者インターナショナル(DPI)日本支部、障害者の生活保障を要求する連絡会議、日本障害者協議会(JD)、家族会等ならびに専門職各団体は次々に意見を表明した6) 。このなかには、後見の費用負担の問題、財産のない人の身上監護事務に対する費用の問題、これまでは対象とされる制度がなく権利能力制限が問題にはならなかった「軽度の精神障害」を有する人たちに対する権利能力制限への危惧、公的後見なき後見への反対、利用者保護が自己決定の尊重に優位する事への危惧など、制度発足後4年を経過した今日になって指摘されている問題を予見的にのべられている。
また『日弁連の大綱』は現制度体系に対して、最も体系だった対案として、立法の形式についても現法の構成に基本的な対立点を含む多くのヴァリエーションがありうる事を示している。これらの論点と対比させて、現在この制度を巡る論点を(付録表1)に整理した。
 新制度の骨格としては法定後見制度3類型に加えて任意後見制度が新設された。後見の対象者は精神の障害による事理弁識能力が不十分な者として、身体障害を含まず、後見事務は財産管理と身上監護の二つとして後見人には身上配慮義務を課している。また身上監護は医療の同意と居所指定を除いた構成としている。能力判定は、法定後見のうち、保佐と後見については原則鑑定をもって、補助、任意後見は診断書によるとして、それぞれ2002年1月に最高裁事務総局家庭局が示した鑑定書、診断書作成の手引きがあり、記載例も提示されている。
又、特に新設された制度、補助制度については、診断による法定後見を開始する制度として設計され、その申し立てには被補助者の同意が必要とされているので被補助人は補助人を否認する権利を有する。さらに補助人の同意権、取消権、代理権の範囲の決定にも被補助人の同意が必要とされているので、被補助人は補助人の取消権、同意権、代理権の範囲をもコントロールする権利を有し、被補助人は補助人の意思を否認する権利、同意しない権利を有している事になる。この新しい補助制度の利用拡大によって「軽度の精神障害」を有する個人は、残存能力を活用して自己決定権を尊重された援助をうける事ができるとして評価された。
 加えてイギリスの持続的代理権授与法に倣い最も私的自治を発現せしむる制度として、判断力が健康な時点で、前もって自分の後見を自分の手によって設計し、判断力低下後に自身をゆだねる事ができる任意後見制度は、評価的に受け止められた。  (目次へ)

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3章 成年後見法の改正の背景

① 制度の指導理念―ノーマライゼーション
成年後見法制度の立案担当者になる「新成年後見法の解説」では、その指導理念はノーマライゼーションであり7) 、その運用において障害ある高齢者等は改正前、旧法の様に一律に意思能力を否定され、行為能力を剥奪されるのではなく、障害者の残存能力は尊重されるべきであると強調されている。またノーマライゼーションからの要請として、援助者には被後見人等に対して身上配慮義務が858条に明文して課せられており、専門家、親族を問わず父権主義的(パターナリズム)な支配を改めて、障害者の自己決定権を尊重すべき事が解説書においても強調されており、そのためには障害者の能力の有無が不明な場合は、能力があるという前提で支援を行なうべき事(能力推定の原理8) )とされる。
判断能力が不十分な個人の、判断能力を補う制度としての成年後見制度の主旨は「自己決定の尊重、残存能力の活用、ノーマライゼーション等の新しい理念と本人の保護という従来からの理念との調和を旨として、柔軟かつ弾力的な利用しやすい成年後見制度を構築しようとする 9)」とされている。このノーマライゼーション理念の展開過程からこの理念の求めるところを考察してゆきたい。

ⅰ)日常生活の一つ一つがノーマルである事
1950年代、デンマークで起こった知的障害者の親の会や専門家の運動を通して具体化したノーマライゼーションは戦後世界が開けてゆく中で、第2次大戦中ナチの収容所生活を体験したバンク・ミッケルセンにより提唱されている10) 。当時のデンマークでは1855年に知的障害者の民間施設が作られて以来、施設収容が知的障害者サービスの主流となり、知的に障害を持った子供は18歳に達すると生まれ育った家を出て、大規模施設に収容される事が一般的であった。ここで生活をする子供達の親の会はバンク・ミケルセンとともに多くの施設処遇改善を求めてゆく。「ノーマルな生活状態にできるだけ近づいた生活をつくりだす11) 」と表現されたその改善の方向が、 ノーマライゼーションの方向であり、障害を持っているために施設生活を余儀なくされている人々にも、普通の生活条件(住居、仕事、余暇12) )を提供することであった。
当時の施設は障害者を社会から守り、社会を障害者から守るという二重の機能を果たす為に、施設は市民の生活の場からは隔離された所に立てられ、保護主義という名目で障害者の生活には多くの制約があった。利用者の個々のニーズは集団処遇の場面では作業効率上受け入れられにくく、管理者側の決定や価値観が利用者の意思に優越する結果、施設利用者の生活は同年代の市民、18歳の青少年とはかけ離れた生活であり、同じ共同体に住む同世代の人々と同じ生活上の権利は障害者には保障されていない事を、親の会は指摘したのであった。
入所者は日々の生活リズム、一日の、一週間、一年のリズム、各ライフサイクル段階を通しての「通常の期待を経験する13)」ノーマルな生活とかけ離れた生活を余儀なくされていた。その事が問題であるとして、障害を持つ子供の具体的な日常の生活一つ一つのあり方を問題としている点が特徴である。
この経過から読み取れることは、成年後見制度がノーマライゼーションの実現をその目的としているならば、障害者の生活の具体的な日常の営み一つ一つを問題にせざるを得ないのであり、障害者の日々の生活行為を法律行為、事実行為と分けて対応をするのではなく、日常生活の一つ一つがノーマルであるべく後見する事が求められていると思われる。
わが国の福祉改革のモデルであるイギリスにおいても、ノーマライゼーションは浸透していて、オブライエン14) によればサービス利用者(障害者等)が、「普通の市民と同じ近隣、学校、職場、商店、レクリエーション施設、教会などに現実に存在する事を支持されて、コミュニティでの存在を確実なものする」事がイギリス社会のめざす方向である。英国リハビリテーション協会15) のテキスト『生活技術のカリキュラム16)』が示している『生活技術の立体モデル17) 』も、障害者の自律的な生活や社会生活力を伸ばすこと 18)をめざしており、その求める所は障害者の日々の生活の一つ一つがノーマルである事と理解できよう。

ⅱ)保護主義とノーマライゼーション
バンク・ミッケルセンは、社会が知的障害者は他の障害を持たない人々と同じ人間であると認めるのならば、知的障害者も普通の市民と同じに市民権を持つ社会的存在であるべきと主張した。その上で障害者に向けられるサービスをどのような制度として組み立てるのかという法制度体系についての提起をする。その内容は、障害者だけを対象者とする特別の法律を廃して、障害者も他の市民と同じ一般法によって他の市民と同じルールにおいて援助されるべきとするものである。デンマークではこの主張を1959年法19)) として結実させているが、これはそれ以前の障害者制度展開において障害者だけを対象にした法律こそが、障害者を市民社会から分離する結果をもたらしてきたという認識に基づいている。
知的障害者側からすれば、知的障害者には個別のニーズに応じて必要なプログラムやサービスを受ける権利がある事、そしてそれは全ての市民と同じ権利にもとずくルール、病人には医療サービス、子供には教育サービスなどと同じルールにおいて、プログラム(英語のordinary daily lifeにあたるADLのモデル)が必要なのであるとする。知的障害者がリハビリを要請するのは知的障害者が持っている当然の権利であるところから、彼等が生きる社会の側では、知的障害者のために特別に設定したプログラム(ADL20) )を必要としており、知的障害者は全ての市民と同じような権利としてプログラム(ADL)を要求する事を保障されるべき事、までを含んでいる。
さらにその主張を社会の側が受け止めるならば、公的な制度体系の具体化が求められているとした。ここでは法の下の平等は保護主義の克服であることを強調して、デンマークでは1959年法 により、知的障害がある児童は、共同体の同世代の他の児童と同じように両親の下で生活し、遊び、幼稚園や学校に通学する事、成人となっても親と離れて訓練や教育を受けながら、仕事に従事し、余暇やレクリエーションを行なう権利が保障される事となった。
ミケルセンや親の会は、知的障害者がその個別ニーズに対応する福祉対人サービスを提供される権利は、普通の市民と同じルールに基づく制度、市民サービス法において満たされる事なしには、保護と言う美名による制約が生じて、法の下の不平等が生じると主張した。「ノーマライゼーションは基本的には、種々のドグマ、特に何世紀にも渡り知的障害者の人々を困らせてきた保護主義に対する攻撃であった21」とも述べている。
その立場にたてば、障害者保護とノーマライゼーションは共存するというよりは、むしろ歴史的経過である保護主義の克服形態であるという事ができる。そうなると成年後見法の指導理念、ノーマライゼーションは、障害者の保護と自己決定の調和をとるとされているのだが、そのバランスはむしろ保護よりは自己決定に傾かざるを得ないと理解できる。

ⅲ)福祉改革と成年後見制度
このノーマライゼーション理念はニルジェ(スウェーデン)、ヴォルフォンスベルガー(アメリカ)の論文が出発点になり、世界に波及して「障害を持っている情況を除外したり、特別視するのではなく、障害を持つ人として普通の市民と同じ権利が保障されるのが、健全な市民社会なのである」と言う思想として国連の知的障害者の人権宣言にうたわれ、また各国、各地域に浸透しつつある。
わが国の福祉改革も、その流れとともに有り施設福祉に対して在宅福祉の推進を掲げ、イギリスのコミュニティケアなど西欧福祉国家群の動向をモデルにしながら開始された。2000年の厚生白書による福祉改革の理念は「これからの社会福祉の目的は、個人が人として尊厳をもって、家庭や地域の中で、その人らしい安心のある生活を送る事ができるよう支援することにある。22」となっている。障害を持つ個人は施設での生活よりは、地域の中に生きるとしたモデルをもって、地域生活支援の充実をめざしている。「措置から契約へ23)」」という表現で語られる福祉改革では、介護保険、支援費制度が導入され、契約によるサービス利用を行なう事となった。社会福祉の対象者は、市民全体におよび、福祉ニーズの多様化、福祉サービス供給主体の多様化、市場化の方向にむかっている。
この中で、施設ではなく地域の住宅で生活をする多くの障害者高齢者等が出現する。自由な行動様式をもち、経済力も備えた人々は市民として自由な活動性、プライバシー保護を確保しつつも、同時に、悪徳商人、暴力等に直接対峙し、市民としての消費生活上のリスク、様々な生活危機の可能性を抱えるわけである。
国家責任による生存権保障の政策として行なわれた福祉制度の改革以降、私的自治の延長上に、地域における障害者高齢者等の自立的生活の安全、生命の安全、生活の質を確保するために、必要不可欠なシステムとして新成年後見制度は登場している。その役割は大きいと言わざるをえない。

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②民事法を巡る動向

ⅰ) 高齢社会の到来
100年ぶりの民法の改正、新成年後見制度の創設がなされた2000年の日本社会は、高度情報化社会を迎えて、商取引は地球規模にひろがり、国内的にはバブル以降の長期不況の中、高齢化社会の到来が予測されて、すべての分野の構造改革が進められていた。また現在では高齢者人口はその質的転換も予測され、多くが戦後生まれの団塊の世代であり、やがて大量に定年退職をして、経済力を備えた、権利意識の旺盛な高齢者である事が予測されている。
高齢者の疾病構造は慢性疾患、多臓器複合型であり、要介護高齢者、要支援虚弱高齢者、痴呆性高齢者など障害を持つ高齢者が永きを市井に生活する時代であり、地域における市民生活の中で自由な意思を表現し主張しながら、その中で行なわれる様々な取引、契約、生活の円滑な運営全般への手当てを求める高齢者が想定される。
わが国では20年後は530万人が要介護、虚弱となって何らかの支援が必要と試算されている24) 。また40年後は全人口の3分の1が高齢者となることを考えると、日本社会における成年後見制度の対象になり得る人々は、決して例外的な特殊な人とは言い切れず、社会の一大構成要素を形成する層となって登場してくる事が予想される。対応する福祉制度の実施方式は福祉改革の先鞭である介護保険導入にみられよう、行政措置による実施から、個人の契約による福祉サービスの実施に転換しており、ここに利用者は所謂「個人責任」が問題とされる状況である。

ⅱ)契約原理の変動
民法上の事理弁識能力とは意思能力の具体的表現と考えられているので、成年後見制度でいう民法7条、11条、14条の「事理を弁識する能力」に問題がある人々とは、意思能力が不十分な人々であり、後見制度はその能力が不十分な程度に応じて3類型に分類して行為能力を制限し、後見人等を付与し、類型毎に被後見人の行為に対して一定の代理権、同意・取消権を認め、以って被後見人等の市民的生活を後見あるいは支援する制度である。後見人等は被後見人等障害有る人々が市民生活において行う行為を、民法が敷衍する取引社会において後見あるいは支援を行うので、日本の現在における民法の動向や有り様について、成年後見制度改正との関連を理解してゆきたい。

ア)近代契約法理と19世紀西欧
内田貴の『契約の時代 日本社会と契約法』において、近代契約法理は19世紀の「自由で自立的な個人の尊重を高らかに宣言した時代25) 」にモデルとされた対等な個人と個人の間の契約、「意思だけに純化された契約像 26)」としており、この契約像がモデルとなりえたは、「モデルを支えている思想ゆえだろうと思われる 27)。」として市民革命の時代に勃興した近代契約法理を検討されている。
また契約の拘束力の根拠を個人の意思に求めている構成については、「契約に際して契約当時者の意思内容を取り交わして契約関係に入り、終了の条件をもって契約関係が終了すると言った、契約時点での契約当事者の意思を重んじる」契約原理としているが、このような契約についても「現実の契約の背後に、今も昔も様々な社会関係が存在していて、そのおかげで契約の実効性や有効性が担保されている 28)」との理解を述べて、この契約原理、古典的契約原理を支え、かつ貫く思想といえば「個人の意思を極端なまでに重んずる意思主義、もっと広く言えば個人主義的な自由主義(リベラリズム)29) 」であるとして近代契約原理に特殊19世紀西欧の思想状況が反映している事を指摘している。

イ)意思主義と事実的契約関係
 また自身が「つねに人間の意思を起点として法、特に私法を考察してきた」とする石田喜久夫は2001年、『現代の契約法30) 』の復刊に際して、「現代の契約はその締結・内容確定・解消など汎る局面において、取引の複雑化・情報の多様化とその伝達の迅速化に媒介されて、いちじるしく変容を示し、それとともに、契約像もいわゆる古典的範型とは異なって観念されているかに思われる。31) 」として、そのような現状で有ればこそ「契約の原点に立ち返って再思する事こそ必要」とし、西欧近代の契約原理、意思主義が切り拓いた地平、自由な個人の意思と契約の拘束力について再思する立場を述べている。
 その始りのところで近代契約法理の修正の典型としての「日常の定型的な取引や、ある組織体の構成員としての法律行為等については、行為能力、意思能力、あるいは内心の意思等の有無を問うことなく契約を有効」とする「事実的契約関係論」について論じて、19世紀に起こった契約自由の原理の意味を確認されているが、 その中で星野教授の『現代における契約』から「『人の義務付けの根拠を自由な意思に求める思想は、進んで、逆に、(権利)義務の発生する場合や法律制度が関係当事者の意思に基づくものである事を要求する。かくして、これらを、当事者の意思の推定として、あるいは契約として説明する傾向が強くなった。これを『契約主義(constractualisme, Vertragstheorie)』などと呼ぶ事がある。』が、かような説明は擬制が過ぎる面があるのではないか、とされるようである。32) 」を紹介をしている。
さらに、意思主義と言われる契約の根拠を意思だけに純化された契約について、星野教授はその限界に関連して「ごく抽象的にいうならば、具体的事案に於いて、当事者がいかなる意思を有したかを、客観的に判断しうるのかが、まず問題になろう。33) 」としており、意思主義と言われる法理について「自己の意思のみをモデルとして法を考えようとする傾向へ赴きがち34) 」と指摘している事を紹介している。
そしてこの後段の附録において石田は、 さらに複雑化し高度化した現代社会において、「さまざまに対立するもろもろの利益を観念的に想定する事はおよそ不可能であり、それらを調整するいろいろな視座を持つ事も容易ではない 35)」と意思だけにその契約効果の根拠を求める事が引き起こす法解釈をめぐる概念的論議の偏りにも目を向けている。
(尚契約主義に対する正面からの挑戦である所の「事実的請求による契約の成立を認めるべき」とする「事実的契約関係の理論」は「無能力者制度の適用範囲を限定する機能を営むものとして評価されている、と見られる。」と続いている。)

ウ)契約解釈における意思主義と表示主義
また『契約法理の現代化36) 』においてケッツ(Kots )の『ヨーロッパ契約法Ⅰ』の概要を示して紹介している潮見佳男によれば、その7章においてケッツは「契約の解釈」を扱い3点の特徴ある指摘をしているとの事である。ヨーロッパ共同体が共通通貨ユーロを流通せしめている時代にヨーロッパ共通私法という発想をもってヨーロッパ諸国の私法体系を見渡していると思われるケッツの指摘によると、「契約の解釈」の現代的特徴の一点は「契約解釈における意思主義と表示主義の対立は、今日ではもはや実質的な意味を有しない37) 」との事であり、「意思は表示されて伝達されなければ効果がない38) 」と続き、また「表示が社会的行為であり、合理的な名宛人が受け取る意味に即して理解されなければならない事、言い換えれば第3者の信頼を裏切らない解釈が求められるという事である。39」と紹介をして、意思主義、表示主義の解釈について表示自体が社会的行為として社会関係を前提としていると指摘している。 2点目は多くの法系では解釈準則を条文化しない所、フランス法系の諸国では詳細な解釈準則をもうけているが、「結果を正当化するために持ち出されている」との印象が強いとのことである。更に3点目の指摘として「契約中の付随義務の成否にとって重要なのは、当事者の意思ではなく、そうした義務の設定が合理的なリスク配分の為必要かどうかである。しかもこのとき契約責任か不法行為責任かは技術的な問題であるに過ぎず重要でないという 40)」と紹介されている。これらは当事者意思よりは、契約当事者が契約を巡って形成する社会関係を検討して、現実的法律効果の公平性や妥当性による解釈を重要視する契約解釈の現代的な動向を捉えていると思われる。

エ)日本社会における契約法理の修正過程
前掲の『契約の時代 日本社会と契約法』に置いて、内田は「社会活動の基幹をなす法制度である契約」の原理における歴史的な背景と限界,その現代的な展開をまとめて、わが国における近代契約法理の現代的な修正課程を概観されている41) 。
その中では古典的契約原理により行われてきた契約モデルは、商取引、経済取引の分野での量的な拡大、その主体も個人と個人から、個人と企業等法人、法人間、企業間と変化し、民法の定めた典型契約に該当しない「新たな契約が次々に誕生し42) 」行われる中で様々な修正を重ねその変化に対応してきた事が纏められている。
わが国では、明治民法において西欧近代法の「民法の継授43) 」を行いその新しい近代契約法理と、民法制定前の取引慣行とが二重構造をなしている実態があるとの議論を紹介され、その中で契約は書面による契約をめざすべきとされるなどの、契約の近代化を目標とされてきたが、また一方では「生ける法44) 」としての日本的取引慣行が行なわれており、戦後50数年間、立法においては、契約自由の原則に立っても、契約法理を定めている民法、商法に加えて非常に多くの特別法が市民の契約にさまざまな規制を行っていると指摘している。
内田はこの修正過程とその傾向を分析して、この特別法による契約原理への規制は非常に多い事が特徴であり、一つの類型としては、公益的な観点から契約の成立や内容に規制を行う類型、たとえば医師法19条は、相手が気に入らないからと言って診療契約を医師は断る事ができないし、電気、水道、ガスなどの独占的な公益事業にも同様の規制がかかっている事を例示している。二つめの類型は、社会法的な類型で雇用、借家借地の契約への規制、情報や専門的知識の非対称から合理的選択がなされない傾向の契約には割賦販売法による解除権の制限、訪問販売等に課する法律、土地建物の取引に関する法律、豊田事件のような悪質な取引を規制する特定商品等の預託等取引契約に関する法律、またクーリングオフ制度などは一方の過失を問わずに、一方的解除権を付与しているものなどを例示している。3つ目の類型は契約当事者への合理的な判断を可能にするための情報の開示を課す(金融システム改革法)類型で、契約内容への介入を避けた上で、事後的な訴訟による救済を容易にするというスタンスもあり、また本来契約の義務ではない所までの取引にかかわる情報の開示義務をかしている事を挙げ、これらを古典的契約原理の修正の立法であるとの分析である 45)。
また立法以外にも、近代契約法理の修正過程は、法の実質化と呼ばれる現象があるとの事で、近代契約法を特徴付けていた機械的な適用可能性をモデルとする規範から、実質的な裁量判断を介在させてはじめて適用可能な規範、一般条項を規範的に運用する、一般条項項概念が増大していると指摘されている。さらには特定の政策目標達成の為に、明確な要件を具備したルール、規制が発動されているとのことであり、また、訴訟構造も変化して、紛争が生じてから事後的に当該契約を巡るそれまでの事実経過を全体として評価して判断するという様式が広がっているとの指摘をしている。民事訴訟法学では所謂行為規範から評価規範を分離し、スタンダードの形をとった評価規範が形成されているとの事で、そのため、訴訟のプロセスの動態を紛争解決の判断に取り込むので、裁判官が後見的な役割を積極的に果たす事を意味し、弁論主義を機軸とした近代法の訴訟構造にも変化をもたらすであろうと指摘されている 46)

これらの流れは市民の契約においても19世紀的形式主義とも表現され、擬制が過ぎるなどとも評価される、個人の意志と言う抽象的概念によって正当化付け、契約当事者の契約時点の意思を軸にする法理を修正して、その背後にある、現実の社会関係、共同体の歴史的経過を反映した文化内容、慣習をもって生きる歴史的現実を反映する法律関係、その効果の妥当性、公平性などを具体的に問題とする方向での変化が引き続いているとの主張と思われる。

オ)市民法的現実と成年後見制度
これらの流れとともに、市民法的現実としては、意思能力に問題があると見なされる人々の民事的な保護は、実質的平等、信義則の運用や司法の後見的役割の発現も加わり、保護的な立法とともに判例法や、法解釈、訴訟構造の変化など多様な関与がなされ、正当化される方向にある事を示していると思われる。さらには日本では信義則を援用する傾向もあり47) 、障害者保護の役割をはたす政策も多様化して、契約法理は19世紀的な抽象的な自由意思を持つ個人から、現実の様々な能力、経済力を有し、様々な利害を体現する生身の人間が想定されはじめていると理解される。
市民と一口に言っても、健常者、障害者、其の境はグレーゾーンであり、健常者においても、(制限能力者ばかりではなく)健康な市民の意思表示におけるリスク(意思の欠缼の条文)も民法には織り込まれ済みの現実でもある。意思能力に問題あるという事実を前もって表示して契約関係に入る成年後見制度、制限能力者制度はその目的である、障害者の保護、市場の保護を果たすに当たり、消費契約法などの多彩な民法の特別法や、信義則原則の援用などと重層的に行なわれ、市民社会を生きる多様な人間存在が想定され、その中で実質的平等が行なわれる為の制度として求められていると思われる。また必要性の原則が求めるところは、この制度は他制度による救済の叶わぬ場合に発動される最後的方策と言う事となろう。
福祉国家以降、福祉国家において国家が行おうとした実質的平等の確保、自由意志の尊重などを、国家権力肥大のもたらした種々のリスクを経験した21世紀の国家は政策体系の転換をはかっている。福祉の市場化、多元化、普遍化などといったキーワードをもって行なわれる制度改革の中で、成年後見制度は市民法のルールにおいて国民の生存権保障、実質的平等と自由などを確保、実現する法的装置という事もできよう。
そこでは抽象的な自由意志を持った個人と言う想定から、判断力が不十分であったり、障害があったり、貧しかったりする具体的な現実をもって、この社会にある制度を利用し、歴史的現実の社会を生きている生身の人間を問題にしてゆこうとせざるを得ない。その社会において要求される個人の法的能力も、その社会の制度の進展の度合い、契約を巡る社会制度、慣習、文化により変動すると考える事が現実的であろう。
そこで成年後見法において問題になる能力は、その能力が発現する社会の現実そして民法的秩序に従い、その能力判定は、具体的現実的な能力を問題にする構成が求められており、個人内部に存する意思という抽象性を超えて、歴史的な今において、社会的な必要に応じて発現する能力として構成される事が望まれると思われる。 

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4章 新法の運用情況

①全体的傾向
新成年後見制度が施行されて4年が経過している、この間の利用実績は最高裁判所のホームページ上に年度別に公開されている。利用者の生活場所や年齢、申立て人、成年後見人の属性などである。それらのデータから全体的な利用の傾向と、鑑定にかかわる事項について検討する。
[図Ⅰ]申し立て件数の推移
   12年度  13年度  14年度  15年度
 後見  7451  9297(125%)  12746(137%)  14462(113%)
 保佐  884  1043(118%)  1521(146%)  1627(107%)
 補助  621  645(104%)  737(114%)  805(109%)
 任意後見  51  103(202%)  147(143%)  192(131%)
 

上記件数の推移から成年後見法の利用傾向を下記の通りまとめた。
①この制度利用の全体的な傾向として利用数は次第に増加している。
②後見(法定と任意を含む)利用は後見類型に集中していて、平成12年度82.7%、13年度83.4%、14年度84.1%、15年度84.6%をしめている。
③制度創設時に期待された補助類型については、その利用は実数的にも、利用の伸び率的にも順調とは言い難い。
④保佐も補助同様の傾向である。
⑤任意後見の利用は増加傾向であり、伸び率も比較的順調と思われる。
その他については、後見人については、平成12年は親族後見人(親、子、兄弟姉妹、配偶者、その他親族)は全体の90.9%を占めていたが、平成13年85.9%、平成14年84.1%、平成15年82.5%と親族後見人の減少と第三者後見の増加傾向がうかがわれる。又被後見人の年齢構成は、男性においても、女性においても高齢者の利用のしめる割合はこの4年の間変化はなく、女性44%前後、男性72%前後である。それに対して若年(20代、30代、40代)の障害者の利用は男性、女性ともに利用者総数に対する比率は増加しており、平成12年度27.6%だった男性障害者の利用は平成15年度31.5%となり、実数的にはかなりの増加であろう.又女性障害者の利用もそれぞれ12.7%から14.4%まで増加している。

[図Ⅱ]申し立ての動機別割合
   12年度  13年度  14年度  15年度
 財産管理  62.5%  63.2%  60.4%  60.1%
 身上監護  15.9%  16.7%  18.7%  17.4%
 遺産分割  11.5%  11.3%  9.9%  9.4%

上記申し立ての動機では、財産管理が60%程で、割合的には微少傾向だが、身上監護は次第に増加している。遺産分割は次第に減少している。

[図Ⅲ]鑑定に要する期間
   12年度  13年度  14年度  15年度
 1ヶ月以内  44.4%  39.4%  40.6%  41.6%
1ヶ月から
2ヶ月以内
 40.0%  38.8%  37.5%  37.0%
2ヶ月から
3ヶ月以内
 10.3%  12.7%  13.0%  12.1%


鑑定に要する期間は90%が3ヶ月以内、79%が2ヶ月以内で終えている。家庭局によると「各家庭裁判所における医師等との連携の取り組みが行なわれていること、鑑定書作成のガイドラインの利用が進みつつあることにより、鑑定の円滑な運用が図られていると言う事ができよう。48) 」とのことである。又鑑定費用についても、97%の事件が10万円以内であり、大幅な簡素化が進んでいる49) 。

②身上監護(福祉的ニーズ)ニーズによる後見制度利用

ⅰ)身体機能低下による利用者ニーズ
福祉専門職を後見人に望むケースについては、福祉的ニーズ身上監護ニーズを持つ事例が集中していると思われる。たとえば高齢夫婦の事例にの場合、高齢夫婦の夫が妻の要介護状態をながきに渡って支えて、夫も高齢と疲労の中で体力の減退を自覚して今後に備え申し立てした事例について考察する。この場合は夫は身体虚弱というべき状態にあるが、事理弁識能力が有るので、法定後見ではなく任意後見が俎上に乗る事になろう。高齢者の身体的衰弱と精神的衰弱は互いに密接に影響しあう事が多く高齢者の状態は急変する事も多い。このような身体虚弱高齢者の生活上の危機に対応するにあたり、先ず事理弁識能力を問題にして利用類型を決める成年後見法の構成では、身体虚弱では成年後見を利用できないので、同時に委任代理も用意する事になろう。そしてその後に起こるであろう事理弁識能力の衰退に備え、引き続き進行するであろう能力低下を予測しながら後見事務務の拡大などの変化で対応する事になろう。
このように制度利用を開始したとしても次第に拡大する利用者のニーズを追いかけて類型を変化せしめて代理権、同意・取消権を付与するなどの実務が生じる事が予想される。身体能力の減退を制度利用の要件に入れないこの制度設計は高齢者の全般的で、精神と身体機能の衰えが相互作用的に進行する病態に対応する制度として不都合があると思われる。

ⅱ)軽度の精神障害ある利用者のニーズ
次に、今回の改正で新設された、補助類型が対象とする「軽度の精神障害により判断能力が不十分とされる人」の事例を考える。まず障害者の自己決定権を尊重する制度として、補助類型が検討されるが、同時に任意後見も利用可能であり、法定後見と任意後見の間でどちらを利用するのかが問題になる。
制度の改正に当たられた法務省担当官になる『新成年後見制度の解説 』には任意後援制度の利用形態として3型を示されている。それによると①移行型(通常の任意代理の委任契約から任意後見契約に移行する場合)では、委任代理で始まり、意思能力の減退を見て、公的機関の監督を伴う任意後見に移行する。②即効型(任意後見契約の締結の直後に契約の効力を発生させる)では、補助制度の利用者でも、契約締結の時点において意思能力を有する限り、任意後見を利用できる。「既に判断能力の不十分な状態にある本人が法定後見による保護よりも任意後見による保護を選択する場合には、契約締結の直後に契約の効力を発生させる事を前提にした上で、本人が自ら任意後見契約を結ぶ事ができます50) 」と説明されている。③将来型(将来の判断力低下の時点で任意後見契約の効力を発生させる)では、典型的な契約形態であるとして「任意後見監督人が選任された時から契約の効力が生じる旨の条項を公正証書に記載すれば足り、それ以外の個別的な特約条項(前期①②参照)を記載する必要は無い51) 」としている。

整理すると①の利用法では、委任代理の利用が任意後見に先行するので、二つの制度の契約を平行して行う事になる。 ②の利用法では、軽度の精神障害を持つ補助類型の利用者でも本人意思能力があれば補助、任意後見の双方を使う事ができる。(これは補助類型と判定されている本人の事理弁識能力の程度は、任意後見の利用者と同等である事になる。) ③は契約時には意思能力に問題がない事例(軽度障害ある人が対象ではない。)なので、将来的に能力に問題が生じて任意後見監督人が専任された時点で契約の効力が発生する旨の条項を公正証書に記載すればたりる。(複数の制度の選択、審判ではない)

また任意後見法では2条の規定により任意後見人には代理権が付与されるが取消権は付与されず、一方法定後見の補助人には本人の同意の下、同意・取消権も付与される。この違いに関連して浦井52) は、補助人への取消権の付与が任意後見制度との関係で重要になるとしており、取消権の発動が必要な事例は任意後見ではなく補助制度などの法定後見制度を選択する事を示唆している。

補助を利用する人は「任意後見制度とりわけ即効型を利用する人とその判断能力の程度が近い事が多く、どちらを選択すべきか判断に迷う事も多いようである。このような選択をする際に判断基準となるのは支援者が取消権を行使する必要が有るか、否かである53)」として、利用者ニーズの違いにより制度を選択せざるを得ない点が示唆されており、この点は保佐類型の実務においても同様である事に触れている。同じく司法書士の吉田 54)、事務遂行上の留意点として「保佐と補助の区別が困難又はできない55) 」として3類型の構成に疑問を投げかけている。このように軽い精神障害が認められる個人の生活上の危機(消費者被害、詐欺被害、病気、要介護等に対処できない)がおきた場合、補助、保佐、任意後見、委任代理の4つが検討される事になる。
さらにもう一つ、都道府県社会福祉協議会が行う地域福祉権利擁護事業が、2002年6月の見直しを経て対象者の範囲の明確化を測り、援助内容の拡大を行っている。五十嵐56) によれば、能力判定としては「①利用者本人による明示の利用意思の存在、②援助の必要性・有用性 ③本人の精神医学的状態 ④本事業以外の手段による本人保護が困難である事を総合的に判断して行なわれる。57) 」としている。この制度も対象者は判断能力が不十分な者であり、かつ明示の利用意思が確認される程度の判断力のある個人なので、補助類型の対象者と同じ程度の事理弁識能力を有している個人となる。補助等との違いは対象とするサービス、利用者のニーズ領域が、①福祉サービス利用、②福祉サービスの利用に関する苦情解決制度の利用、③住宅改造、居住家屋の賃借、日常生活上の消費契約、住民票の届け出等の行政手続きに関する援助その他福祉サービスの適切な利用のために必要な一連の援助、④前記に伴う預金の払い戻し・解約・預け入れなど手続き等利用者の日常生活費の管理(日常的金管理)と限定されている事である。民法における法的代理人の形式を踏まないで行う援助なので、法的紛争等に当たっては対抗力ある形式をとって侵害を排除する事や、回復を図る訴訟等を用意できないので、その場合は後見制度に移行することになる。

自己決定権を尊重する事を求めて改正された制度の、自己決定権を尊重されるべく多くの利用がなされる筈であったこの軽い障害をもつ層が、補助、保佐、任意後見、委任代理、地域福祉権利擁護事業と言う5つの制度をそのニーズによって使い分け、審判という法廷手続きを含めて重ねている実態が伺える。

ⅲ)小額な資産管理(生活保護費,年金,医療費,生活費管理)
成年後見制度利用としては、生活保護費の管理、病院への支払いなど、高額には至らない程度の金銭管理(資産、財産管理)ニーズが現われる事例がある。小額な資産管理でありながら後見制度の利用を希望するのは、福祉サービスの利用や日常の金銭管理など小額の支払いに付随する「見守り」なしでは社会生活や生命の危機の度合いが深く、現実の生活危機管理または将来的な手当てや備えとして成年後見が求められていると思われる。このような事例は財産管理よりは身上監護が真の動機と理解するべきであろう。この場合の後見人への費用は本人財産が僅少で、そこからの手当てはできないので、福祉サイドの事務管理の実態も聞こえてくる。小額の生活費管理(財産管理)は生活の危機を回避するという観点からは身上監護とは直結しているので、対抗力ある法的形式を備えて行う身上監護事務と一対であることが求められる重要な内容であるにもかかわらず、その費用負担は補助金事業に頼らざるを得ない等の問題がある。 

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5章 新成年後見制度の能力判定と鑑定
新成年後見制度はその対象者を「精神の障害」によリ、事理弁識する能力を欠くこと常況とする者としているので、制度利用には精神の障害の存在が前提である。精神障害者の定義は精神保健福祉法第5条の規定により、「精神分裂病、精神作用物質による急性中毒またはその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有するものを言う」とされているので、精神障害には精神疾患が前提になる。つまり成年後見制度における能力判定には医師による病名診断が不可欠と言う事になる。精神疾患の診断法については後段で述べるとして、加えて障害者基本法2条に障害者規定があり「身体障害、知的障害、精神障害があるため長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受けるものをいう。」とされている。生活に相当な制限を長期に受けている事、生活障害の有無も要件となり、この点も判定にあたっての検討点になる。
さらに事理弁識能力の有無の判定については、斎藤58) はその鑑定作業をふまえながら、最高裁判所家庭局の作成した「鑑定書・診断書作成の手引き」において、「②は、医学的な所見を基礎にして、財産の管理に関する弁識能力の有無に関する意見を述べることになる。前述した法定後見の3類型は、②の弁識能力に基づく分類である。59) 」との理解を示しているが、民法上の事理弁識能力を事実上財産管理に関する弁識能力の判定として概念づけているとの理解を示していると思われる。なお同記載ガイドラインでは「鑑定は本人の精神状態を判定するための重要な資料となります。(法的判断まで求めるものではありません60) 」とされているが、鑑定における判断は審判における4カテゴリー(後見、保佐、補助、意思能力有)に相似した4段階に応じた記載が例示されている。このため、身上監護能力や、遺言能力、医療同意能力、福祉サービス締結能力など様々な能力について様々な判定基準が提案され、存在する中で、鑑定において問われる能力は財産管理能力と特定されているわけである。
これらをまとめると、新成年後見法の鑑定において制度上問題とされる事項は、①精神疾患の存在 ②日常生活、社会生活に対する長期の制限 ③財産管理能力の有無という3点ということになる。
次にこれら3点について、どのような判断領域を対象としてどのような判断基準が適応されているのかを考える。

① 精神疾患の存在
精神疾患の診断は、日本精神神経学会61) によると現在、疾病分類として、国際的に標準化され用いられているものは、二つあり、一つは「WHO(世界保健機構)の作成した、ICD-10(国際疾病分類 第10版 1990年International Classification of Disease)のF00-F99の領域の大項目、精神及び行動の障害(Classification of Mental and Behavioral Disorders)」である。厚生省管轄機関での疾病分類は、もっぱら同分類に準拠して統計がとられている。WHOでは診断のためのガイドラインを明文化しているが、臨床場面や国により診断が異なってしまうという欠陥があり、現在も引続き診断基準検討の最中である62) 。精神および行動の障害と言う標題からして、精神疾患は個人の内的な精神状態とともに精神状態を表す行動が診断の対象であり、その様態を問題にしている事がわかる。
もう一つは、アメリカ精神医学会が1980年に精神疾患の分類と手引き第3版として発表したものをベースにして、1994年版を改めた、DSM-Ⅳ(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)である。DSM-Ⅳは診断の基準の明確化をはかり、多軸診断を採用している事が特徴である。多軸とは診断基準の多元化で、5軸をもうけているが、1軸に臨床症状を、2軸人格障害と精神遅滞、3軸一般身体疾患、4軸心理社会的および環境問題(ストレスの尺度)、5軸全体的機能評価の5軸を診断の基準として採用している。中根教授の障害者福祉論Ⅲによれば、多軸診断の方式は「臨床情報を組織化し伝達する事、臨床的情況の複雑さをとらえること、同じ診断を示す各個人の非均質性を記述する事に対して便利な様式を提供している 63)」とされる。
1970年代のアメリカでは、公民権運動の波の中で、マイノリティによる権利獲得の動きに連動して、精神病院入院者というマイノリティによる精神病院の処遇にたいする抗議が活発化した。その運動の理論的背景であった60年代の行動科学の領域で起こった逸脱行動理論の影響をうけて、精神疾患の診断基準が80年代に多軸診断を採用している64) 。その中身は生物学的な大脳の器質、機能異常と、その異常に規定される意識、知能などの全般的な精神機能の障害状態は、記憶、見当識、思考、論理性、思考内容、感情、意欲など部分的障害といった心理学的領域に反映されており、そして社会学的な領域である環境要因によって影響を受けるとしている、多軸的な診断基準をもつ疾病診断が採用されるに至っている。
精神医療の領域は歴史的にも、精神機能の異常をきたして社会生活上の問題を有する多くの事例に対峙し、その診断を行って強制監置を行うなどの対応を行い、様々な病態の患者の診断と処遇を巡って多くの事例に対応している 65)が、精神疾患の医学的な診断基準自体、個人を取り巻く環境要因を入れて判断をする事が世界的な動向となっている。
精神機能の異常、病変を測定するに当たり、大脳機能の異常が認識構造に影響を与えているとしても、その事は社会的行動として現われた時点ではじめて客観的に測定可能となる。幻聴活発な分裂病患者であっても、その「声」が自分の心配事が声となって聞こえてくると納得しつつ「声」を受け入れているならば、その患者の機能異常は、病理検査では測定する方法が無く観察者には認知不能なのである。
また逸脱理論の影響を受けいれて、行動の逸脱性を問題にするとなると、逸脱とは患者の生活する共同体の文化により、共同体が許容する範囲により、社会制度(医療制度、障害者保護制度等)のあり方により相対化されうる概念である。精神疾患の診断の特殊性は多軸を取らざるを得ない診断の構造に現れているといえよう。

② 生活障害とICF(国際生活機能分類)
成年後見制度の鑑定では精神機能の病変による長期に及ぶ生活の制約 があるか否か、障害の有無の判断が求められ、又後見制度の性質から将来にわたる障害の予測が求められる。
個人の障害の有無、程度の判断に関連する障害の基準については1980年、WHOが疾病基順(ICD-10)の補助分類として発表したICIDH(国際障害分類International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps)が、障害の構造的理解を促す基準となっている。この基準による障害の理解、障害概念にもとづいた国連の国際障害年の取り組みは有名であり、この基準では、医学的な病変、欠損(Impairments)、機能障害(Disabilities)社会的不利(Handicaps)と障害を三層構造的に捉える事となった。これまでは障害は個人の身体的、医学的、生物学的条件に規定された個人の属性あるいは全般的な個人の生活上の制約、障害として捉えられていたのを改めて、障害は全体としての障害現象であり、いくつかの構成要素とその相互作用関係として理解する視点を示した。
1997年WHOはその改訂を重ねてICIDH―2を示し、2001年5月にはいわゆるフィールドトライアルをへて、をICIDH-2の改訂版をICF(International classification of Functioning, Disability and Health)として採択している。
 何が変わったのかといえば、たとえば右肢の膝の上から欠損したという事例について、その人の身体的変調は右足の欠損であるが、機能障害としての歩く事、移動する事の障害は、義足、車椅子等の利用によって克服され得るし、さらに交通機関を利用し、通勤し、消費生活をおくるなどの社会的な活動や社会参加については、障害者雇用の促進、都市構造のバリアフリー化、対人福祉サービスや医療制度のあり方によって、ハンディキャップについては減じることができる。このため障害者の生活上の制約、そしてその裏返しである活動力、社会参加する行動力は、社会,都市構造などの環境要因と個人の心身状態、障害者自身の内的なモチーフなどの相互作用の結果であり、環境要因により影響をうけるので、社会的不利、ハンディキャップは社会の側から、個人の側からの働きかけをもって減らしうるという理解がなされた。障害者の障害を克服しようとする意欲を評価し、社会制度のあり方を問題にできる障害基準であるとする理解も可能であろう。
各国の福祉制度、社会保障制度などの障害者政策のあり方も、障碍者の生活環境要因の一領域として考えられ、2001年5月、WHOは総会にあたる54回世界保健会議において、このICIDHの改訂版を新国際障害分類ICF (International Classification of Functioning, Disability and Health66))として採択した。その改定の骨子は一つは、環境を含む背景因子を重視し、人間と環境の相互作用モデルとなっている事、もう一つ重要な改正はこれまで「能力障害」としていた内容を「活動」に換え、社会的不利を「参加」と転換した事である。
この新分類の目的は健康状態と健康関連情況を記述する為の統一的で標準的な枠組みを提供する事にあるが、成年後見制度の能力判定のあり方について参考となる点は、判断能力の不十分さという精神機能の障害を判定する場合に、その個人の障害の裏返しである活動力、社会参加力に影響をにおよぼす要因を考慮する必要性を示唆している点である。またICFの各項目のうち、鑑定書の記載ガイドラインにおいて考慮されなかった事項は、d(domainの略)コードd910-999コミュニティライフ・社会生活・市民生活や環境因子e(environmental factorsの略)コードe310-399支援と関係、e-410-499態度、家族、友人、権限を持つ立場にある人などの態度、e-510-599サービス・制度・政策などであり、個人の活動力に影響を及ぼし、またそれらの因子による相互作用を考慮していく必要も同様である。
特記すべきは、判断能力の障害と捉えられる事理弁識能力の減退は、身体障害への差別とは違った偏見も存在している。人間らしい事とは理性あることと捉えて、人間存在の証としての「理性」が欠如している、「合理的な理性の働かない劣等な人」などと見なす傾向も存在して、スティグマ67) が問題になる。たとえばヨーロッパの歴史68) によれば、古くは大航海時代、新大陸発見後早々に始まったインディオの奴隷化は、その暴虐性をめぐってスペイン国内で大きな議論を巻き起こしたというが、その論点は「インディオは理性を持った人間存在であるかどうか」と言う事であったという。議論の結果、インディオ保護法ができたが、インディオを劣等な人間、スペイン人を文明をもたらす解放者とする言説は主流となったと言う。 
後見法創設時の要綱試案への意見の中にある身障者当事者団体のこの制度への危惧も、此の点と無関係ではないだろうから、制度の運用に当たって精神能力を判定する事を必然的に抱えるこの成年後見制度の制度設計、特に鑑定については、歴史的経過の中で人格に直接関連する、人間としての価値に係わる条件、理性の測定などといった印象から自由なありかたも、ノーマライゼーションの理念において重要であろう。 (目次へ)

③自利弁識能力(財産管理能力)の判断
鑑定を医学的資料として行われる成年後見制度の審判においては、法律行為を行う行為能力の程度が判定されるのだが、この行為能力について内田は「市民社会の取引ゲームに参加するための能力であり、契約の前提となる意思能力と重なっている69)) 。」と説明しており、医師である五十嵐は「行為能力の前提になる概念として、意思能力がある。意志能力とは、『自らのなした法律行為の結果を弁識する精神能力』70)」であるとしており、ともに民法の規定にある事理弁識能力とは意思能力概念と重なる概念とされている。
さらに内田は事理弁識能力について、平成11年(1999)年改正により従来禁治産制度では「心神喪失の常況に在る者」であったが、心神喪失と言う文言を改めて「精神の障害により事理を弁識する能力を欠く常況にある者」とされたものと指摘している71)。この「心身喪失」を改めた「自利弁識能力を欠く」とは、意思能力について、行為無能力者制度である成年後見法の目的に引き寄せて表現されたと理解できるであろうが、立法者の特別な説明は無いようである。「趣旨はおなじであり、事理弁識能力を欠く常況にあるとは、意思能力さえない事を言う 72)。」との指摘であり、事理弁識能力の判定は意思能力の判定と同様の考え方で良いと思われる。
ところで最高裁判所が示した鑑定書の記載ガイドラインにおいては、①精神上の障害の有無・内容および障害の程度 ②自己の財産を管理・処分する能力 ③回復の可能性の3点が挙げられている中の②であり、斎藤によれば「医学的な所見を基礎にして、財産の管理に関する弁識能力の有無に関する意見を述べる事 」とされている。斎藤はこの①③の医学的な判断を②の法律的な判断に転化する作業が医学と法学を結ぶ「鑑定」と言う作業の本質であるとしているわけである。
 ガイドラインでは、鑑定主文を導くための根拠を簡潔に記載する,gyouseisosyou として、主文の根拠となる日常生活の状況及び現症等の記載を求めており、裁判所の示した「説明」の記載上のモデルによる説明では、まず病歴、精神医学的診断を示し、次に自己の財産を管理する能力について考察し、回復の可能性についての考察をするように求めている。統合失調症の記載例では精神症状、診断記載の後「社会生活上状況に即した合理的な判断をする能力は欠落しており、自己の財産を処分・管理する能力はないものと判定できる。」と続いている。アルツハイマー痴呆、痴呆については、病歴についての要約、自己の財産を処分管理する能力、回復の可能についての考察が求められ、知的障害の場合に限って「男性の言いなりとなって多額の借金をした」とのエピソードが記載されているがその後に知能指数、脳波の所見、知的障害の程度、回復の可能性と続いている。
このような医学的な状態像から財産管理能力の有無を判断した根拠を示すべき「説明」が求められており、制度の利用者、被後見人等は、どのような財産を、どのような環境で管理するのか、そのためにどの程度のどんな能力が求められるのか等は検討される事なく、医学的な診断、状態像から財産管理能力の程度の判定を求められている事がわかる。
この意思能力の有無はどのような判断軸、判断基準をもって判定されているのだろうか。そして一方の鑑定、医学的判断においては、どのような判断軸、判断基準が用いられるのだろうか。これら二つの間には、いかなる相違があるのか、医学的判断、法的判断の関係はいかなるものだろうか。

追加)成年後見制度の二つの事務について
ところで制度の行う二つの後見事務(財産管理と身上監護)のうちの身上監護は、旧禁治産制度との相違点として強調され、重要視すべきとして注目される新立法の大きな改革点であるにもかかわらず、この事務を行う必要があるか否かの当事者能力の見極めを行わずに、包括的な能力剥奪が予定されている事になる。特に財産管理能力と指定しているのは、この財産管理能力をもって身上監護能力も推定できるか、あるいはこの二つの能力は同じであるという位置付けとされている事になろう。
さらに実務上の要請としては、「市場の保護」の要請が無い身上監護を除き、財産管理の能力に限定して判断を求めているとも考えられるであろうが、しかしそうであればこの構成は、制度の目的、障害者の保護と市場の保護の要請について、より市場の保護の側にシフトしている事になり、新制度の指導理念であるノーマライゼーションの要請には合致していないとも考えられるのではないだろうか。

 ※この点は身上監護には事実行為も含まざるを得ず、事実行為は広範な生活行為に及び、身上監護の能力は、その程度の判断のために検討すべき領域は財産管理能力の判断とは異なるであろうから、それらをどの切り口で判断できるのかについて、議論の分かれるところでもあろう。
しかし、生命、生活への大きな影響を持つ身上監護能力であれば、後見活動の主要な部分であり問わざるを得ないので、ドイツの世話法における同意留保事項(医療処置手続き-1904条、不妊手術1906条、収容類似処置手続き-1906条 4項など) は、特に重要な身上監護事務として特定されている事項であり、これら医療同意、居所指定、収容類似同意 などと特定してその能力水準を問う事は容易であろうと思われる。残念ながら、我が国の成年後見制度は医療同意、居所指定を身上監護から除外した構成であるところから、成年後見制度で行う身上監護と、福祉制度体系が行うサービスとは重なり合っており、成年後見の身上監護事務に求められる目的と福祉諸法制の目的規定は、重なりあっていると言わざるを得ない。
福祉諸法制と成年後見制度の相違点は、行政法と民法と言う基本的な違いがあり、法の機能としては、福祉の施設サービスや在宅サービスにおける不服、権利侵害があった場合に、後見制度の後見人は被後見人の権利侵害に対して、契約関係をベースに置く訴訟を提起する事ができると言う最後的手段を潜在的に有しているという点にあると考えられる。
新制度において大きく注目を集めた身上監護だが、我が国の立法ではその重要部分(医療同意、居所指定-施設入所の同意等)が除かれており、福祉法制が行うサービスとの境界は曖昧である。そして後見人への支援システムに公的な関与が無く、後見人一個人に、被後見人の身上監護義務を求めている構成は、私法である民法原理の内側で被後見人の身上を何処まで守る事が可能なのか、私法の範囲を超えるのではないか、との指摘も有り得るであろう。立法当時の家族法の研究者側からの、家制度の中の嫁の立場に擬せられた成年後見人の位置に関係する問題であろうとと思われる。

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6章 鑑定の運用とニーズ
成年後見制度で問題になる行為能力の判断は、個人の行う全てあるいは一定の範囲の法律行為群を行うに当たって、その人の能力の程度を4つのカテゴリー (後見3類型と行為能力あり) に分類した場合、どのカテゴリーにあてはまるのかと言う判定である。これに対して意思能力有無の判断では、個別具体的な法律行為を行うに当たってその時、その個人の法的能力の有無が判定される。
行為能力者制度の意義について議論はあるが、当事者は成年後見制度の利用によって制限能力者としての保護と、権利制限を表裏一体的な効果として引き受ける事になる。被後見人等において検討される自利弁識能力は、前述のとおり意思能力判定に於いて検討される能力と論理的には重なると考えられるのだが、医師の鑑定においてはどのような点が問題になっているのだろうか。

鑑定書を手にする事はできないので、『実践成年後見No.6』に公開されている鑑定書、事例の概要、その他公開された資料を下に考察を行い、現在の鑑定の手続きは利用者サイドではどのように受け止められ、医師や実務家はどんな点を使い勝手の観点から問題にしているのかを整理して、利用者ニーズと鑑定の運用を考察したい。

① 補助と保佐の境界とその事例
補助は比較的残存能力が高く、新制度によってはじめて対象にされ得る「軽度の精神障害」を持った個人が対象となっている。特に補助類型では「補助開始の審判によって当然に一定の範囲の代理権又は同意権(取消権)が発生するという構成ではなく、補助開始の審判と別個の代理権付与の審判又は同意権付与の審判により、それらの権利が発生する73)」とされ、補助人は特定の法律行為とされる12条1項の範囲内に限っての同意権・取消権、代理権を付与される。つまり同意・取消・代理権共に利用者、被補助人の同意が要件となる。
これに対して保佐人には保佐開始の審判で民法12条1項の規定にある9種の行為についての同意・取り消し権を付与されるが、代理権付与については別途審判を要し、ともに本人保護の必要性により被保佐人の同意権、代理権の範囲を審判により拡張できる。ともに当事者の同意が要件となる。
斎藤の実践成年後見No.6 P35に記載された「補助および保佐事例の概要」(付録表Ⅱ74) によると、補助は2事例、保佐は13事例を挙げてあるが、ウェクスラーの知能検査を行なう事ができた事例では、アルツハイマー、脳血管型痴呆の重度の記銘力障害と見当識の障害を伴っており、抽象的な思考力の低下が検査上明らかになったとしている75) 。
なお松田 76)は「意思能力評価と神経心理学的検査の関連に関するレビューと自検例の検討から、買い物・銀行手続きなどの経済活動とWAIS-Rの算数・絵画配列・符合問題および、COGNISTAT の検討識が、さらに交通・通信手段の利用とWAIS-Rの類似問題の成績が強く関連する事を明らかにした 。」との紹介をしている。
 同時に斎藤は「補助および保佐事例の概要」(付録表Ⅱ)の事例を説明し「補助事例1と保佐事例15ではその生物学的能力、心理学的能力にはほとんど差が無い」として、差は「事例Ⅰは保護的環境にあって安全を保障されているのに対して事例15は高齢の姉妹のみで多額の資産を抱え、些細な情況の変化で危機に晒される可能性が有ったため、前者では本人の自律が、後者では本人の保護が優先されて、制度の選択が異なったので有ろうと思われる 77)。」としている。これは、補助、保佐の違いは生物学的能力、心理学的能力よりは其々の事例にありうる生活危機への対応のためには、どの類型が適切かによって、ニーズによる違いがある事が述べられている。
 又同文中で紹介されている2例(事例2,3)ではどちらも本人が申し立てしているが、補助の事例2は、高齢の未亡人が単身生活をしているうちに軽度の認知機能低下が生じ、養子に対する被害妄想が出現した事例である。自宅で転倒して骨折したのを機に単身生活の維持が困難になったが「自ら申し立てる事で施設内で独立した生活を送ることが可能になったが、それを可能にしたのは、本人が信頼していた知人の存在ばかりでなく、被害妄想の対象とされながらも本人を支援した養子など誠実な支援者がいた事、それを支える経済力があった事などである。」と指摘されている。この事例においては補助制度の利用を可能にし、補助類型に落ち着いたのは、背景の支援システムの存在が大きなファクターである事が示されている。
 事例3は保佐類型だが前頭側頭型痴呆の事例である。MRIでは左側則頭葉優位の萎縮が認められているが、生物学的心理学的検査の結果では、語健忘を示し、「記憶検査成績は低いが、実生活については、エピソード記憶を含め目立った記憶障害は感じられない。読字、書字、文法は保たれており、ADLも自立、IADLにも目立った欠陥は無かった。しかし、見知らぬ男を家にあげ歓待するなど前頭葉機能障害に基づく性格変化の結果と考えられる行動上の問題が単身生活を困難にしていた 。78)」と紹介されている。同居中の娘がいて、アパートを所有しているという生活環境条件であり、「生物学的検査、心理学的検査に現われない生活の危機を引き起こす問題がある」ので、斎藤は「この事例の鑑定では、心理検査による知能指数や記憶指数に比較して実生活の能力が高い事、前頭葉症状と思われる脳器質性性格変化の結果生じた経済生活の困難さを法律的な文書に映すことに苦慮した79)」として経済生活上の困難の様態、危機のあり様が心理学的な検査に出難い中で、騙されやすいなどの生活危機の可能性、娘同居という条件を考慮して保佐が選ばれている。どちらも生活の環境要因が類型決定に大きな影響がある事が示されている。

②後見と保佐の境界とその事例
 次ぎに、西山80) による紹介事例では、保佐開始の審判の事例として、70才代アルツハイマー痴呆中程度の女性の事例が紹介されている。その中で「鑑定人として正直に言えば、鑑定主文は申し立てに合わせて回答したところがある。日常の買い物ができるかどうかという、保佐と後見を分ける基準も微妙な問題を含んではいるが、これに勝る基準は今のところ無い。81)」とあり、後日、調査官からの電話で、いずれ間もなく代理権が必要になるというので本人に会い、代理権付与に関する本人の同意能力について、「裁判所の質問に同意能力なしと意見をだした」とされている。多くの事例の鑑定を手がけた精神医学診断の権威とも言うべき精神科医においても、買い物ができるかどうかが保佐類型と後見類型を分ける基準であり、これに勝る基準はないとしている事は、買い物という社会関係的場面での振る舞いによって現われる精神機能の状況、心理的様態が、成年後見制度の鑑定において問われており、社会関係形成の場面において現われている事を示唆していると思われる。
この事例について、「保佐類型では同意権や取消権は保佐開始の審判によって付与されるが、代理権に関してはその代理権付与の審判と本人の同意が必要になる。代理権を行使する必要が無ければ保佐類型でも間に合ったのであるが、本件の場合は早晩代理権が必要になる。今のうちにこの点を明確にしておきたいということだったのであろう 。82)」として後見と保佐類型の区別に利用者ニーズ、代理権の必要性が大きく影響している事を示唆している。

③自閉症におけるニーズと鑑定
自閉症は知的障害の一分野と見なされているが、その能力はいわゆる異能を有している(個人によっては特殊領域に記憶力が優れていたりする)事もあり知能指数が高い事例もある。しかし社会生活場面では様々な深刻な障害を抱えていて、犯罪被害、加害の側に立つなどもあり得る障害である。以下に吉村武彦氏(弁護士)のホームページ83) から、自閉症者の成年後見利用ニーズと鑑定について考察する。
自閉症の80%~85%は知的な障害があると指摘されている。福祉サービス利用にかかわる判定では知的な障害は通常IQ80以下だとされて、療育手帳が交付され、知的障害者のサービスが利用できる。しかし知的な障害のある人のうち80%以上は軽度の知的障害者といわれる。
弁護士の志村武彦氏のホームページでは、自閉症者とその親に成年後見制度の利用のメリットを報せて、 次のようなことが載っている。「自閉症の発現率は500人に1人と言われていますが、自閉症者で知的な障害のない人の中には,アスペルガ-症候群と呼ばれたり,IQ110を超えている場合を高機能自閉症と呼んだりします(IQ70以上の人を高機能自閉症と呼ぶ人もいるので,このあたりの分類は非常に困難です)。知的な障害のない自閉症者の場合,知的な障害がないのだから,「精神上の障害により事理を弁識する能力」を問題にする余地はないのではないかという疑問を持つ人もいるのですが、自閉症の特徴は,人間関係の根幹を形成する道具であるコミュニケーションを成立させることが困難だということは自閉症を学習している人には当然の前提です。そしてまた自閉症者は,社会的なルールを理解しそれを応用することが苦手であるということも関係者には了解されています」とされている。
日本自閉症協会理事の古屋道夫氏は、「実践成年後見NO1」において自閉症の法律問題として「自閉症の場合,契約締結上では,相手方との交渉が成立しないから,財産の管理・処分では適切な支援が必要である」「犯罪に巻き込まれたり,関係した場合,正しく主張できない人達を擁護しなければならない84) 」と述べられている。つまり、「自閉症者は知的な障害を持っていなくとも,社会と関わるという場面では,適切な支援が必要なのです(勿論,高機能自閉症者の中には学者もいれば研究者もいますし,文筆家や翻訳を仕事にする方もおりますが,社会との関わりの部分では苦労が絶えないようです)。だから契約社会で生きていくためには,成年後見制度の利用(任意後見制度を含めて)が問題になります。古屋さんは,犯罪に巻き込まれた場合のことを述べていますが,実際,高機能自閉症児が殺人を犯した事件や,アスペルガ-症候群の成年が犯罪を起こした事案では,裁判所も弁護士も,精神障害者の観点から彼らの状態を見るような努力はしましたが,高機能自閉症・アスペルガ-症候群の特性から問題を把握しようとはしませんでした。その意味から「正しく主張できない人達」(コミュニケーション障害・想像力の障害・注意の障害などが理由)への支援方法が問題になるという古屋さんの指摘は適切です。」と述べられている。
 鑑定に関連する意思能力の有無の判断については、「既になされてしまった契約の有効性を,後になって吟味するという場面では,裁判所は,まず実際の取引内容と取引に関わった関係者をつぶさに観察します。つまり,知的障害者が取引の相手だとわかっていたのか,わかり得たのか,わかっていなかったのか,取引をする際の会話の進め方などを吟味して,契約を無効にするとどういう損害が生じるか,有効とするとどういう問題が生じるかという部分を吟味してその障害者の意思能力の有無などの結論を出します。その後につけたし程度にIQを記載するのが実際の裁判所の方法です。ですから,何らかの契約がなされてしまっていて,その契約の効力を後になって問題にする場合には,IQが前面にでることはないようです。他方成年後見を申し立てる場面では,最初にまずIQありきのようです。つまり,意見書を書いた医者の意見や鑑定書にある医者の意見を参考にする際,IQの記載が非常に重要になっています。」として、知的障害者の鑑定におけるIQの位置を説明している。
 知的障害では、IQ60は意思能力有り、IQ42で意志能力なしとする判例もあり、能力判定にIQは大きな判断資料となっているが、自閉症者のもつ能力はIQで測る事のできる能力の他に重要な問題があり、その部分で生活問題がおこっている所から、通常の鑑定で収まりきれない実態があるという。
同ホームページでは「IQは知能指数にすぎないのですし言語性のIQ,運動性のIQなどでIQ自体の数字も違ってきます。そもそも,発達障害はIQだけが基準ではないからです。」と述べられ、『発達障害の豊かな世界』(杉山著)には,「(自閉症の)特徴は,社会性の障害,言語・コミュニケーションの障害,想像力の障害とそれに基づく障害の3つ」「注意の障害の存在―ささいな音に過大に反応したり,大きな音を無視したりという現象」と説明がなされている。この様に指摘された生活問題を見ると、犯罪に巻き込まれるなど深い危機に直面する事もある自閉症者における能力の測定を、どのように行なって成年後見の3類型につなげるのか、特に知能指数が高い場合は補助、保佐が選択される事になろうが、自閉症者の意思の確認、測定はその心理的様態、活動として把握することに困難がある事が伺われる。

④まとめ
この様に3類型で制度設計された新成年後見制度の運用は、その類型を選ぶに当たって能力の程度、利用者ニーズ、代理権付与、同意・取消権付与の必要性の組み合わせにより複雑な判断を行なっており、困難が指摘されている。補助類型の利用の低さについて、吉田85) は次のように指摘している。「類型の判断の困難さが挙げられる。立法上、成年後見と保佐、補助の3類型に分類されており、3類型の制限能力者が存在する事を前提としているようにも考えられる。しかし筆者の限られた実務経験ではあるが、実務家の感覚としては、判断能力のほとんど無い人と判断能力の不足している人の2類型くらいしか判定するのがむずかしい。}
以上わずかの事例では有るが、3類型の区別は行為能力者制度の構成上対象者の事理弁識能力の程度に対応して定型的、操作的にカテゴライズされているはずの所、一人で買い物ができるかどうかに勝る基準が無いなど、生物学的、心理学的状態の把握は、客観的指標を求め難い実態があると思われる。また自閉症者などでは事理弁識能力はIQで測りきれない実態があり、買い物が一人でできるかどうかで推定もする事もまた出来にくいと思われる。

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7章 意思能力の有無に関する判例とその判断軸
わが国の制度改正を行なった最高裁事務総局家庭局は、「各人の多様な判断能力および保護の必要性の程度に応じた柔軟かつ弾力的な措置を可能にするため86) 」とこの改正の目的を説明し、その各人の多様な判断能力について判定をする手続きを「鑑定書作成の手引き」において具体的に示している。ここでは、鑑定事項のモデルとして①精神上の障害の有無、内容、および障害の程度 ②自己の財産を管理・処分する能力 ③回復の可能性の3点を挙げている事は前述の通りである。この3点について斎藤は、成年後見No.6 P34において斎藤が受けた鑑定依頼もすべてこの3点が対象事項とされているとしながら、「①および③は、診断と予後の予測、疾病の程度、一般的能力の障害の程度等を医学的な視点で判断し、報告する事が求められている。一方②は医学的な所見を基礎にして、財産の管理に関する弁識能力の有無に関する意見を述べる事になる87) 」と纏め、②の財産の管理に関する弁識能力は①③の医学的な判断を前提にして「臨床医学的判断を②の法律的な判断に転換する作業」とされており、これが、医学と法学を結ぶ「鑑定という作業の本質であるとしているが、ここにはいくつかの問題が存在す。88)」としている。
 医師による鑑定書を資料として司法は個人の事理弁識能力の程度を判定するわけだが、前田の『民事精神鑑定と成年後見法』によれば「事理弁識能力は医学用語ではなく、法的評価を含めた法律上の概念と考えられている89)」とされ、「学説は一貫して、鑑定人は医学上の見解を述べるだけであってこれを基礎として裁判所が法律上の判断を下すと解していた。90) 」との事である。事理弁識能力は法律上の概念であり、意思能力の具体的表現であるならば、その程度は、法的評価を経て初めて測られうる概念という事である。その意思能力の有無を判定する法的判断、法的評価の中身を考察することによって、成年後見法が判定しようとする能力を検討することができると考えられる。
 審判と言う手続の中で個人が司法によって後見3類型の適否をみちびかれる時には、いかなる事項がどのような基準で評価されているのだろうか。一方行為能力の前提である意思能力の有無を司法が判定する場合の基準、法的判断に影響を及ぼす内容を考察する事により、成年後見法が問うている事理弁識能力とは何かを検討したい。
高村の『民事意思能力と裁判判断の基準』と前田の『民事精神鑑定と成年後見法』では障害者がおこなった契約の有効無効を裁判所が判断するに際し、その障害者の意思能力の有無が争われた判例について、どのような内容が判断に影響をあたえているか検討をしている。司法は其々の事案毎に検討すべき事項をあげて斟酌し、争われている事案の法律効果を生じせしめることが妥当か否かの判断を行っている。高村 は、事例毎に判断の要素、判断の基準、判断の過程について研究されており、また前田は同じく判例について、各原因別、痴呆、精神障害、知的障害にわけてその傾向を分析している。
意思能力判断を問われた事例には遺言、身分行為、訴訟、契約における意思能力の判断を取り上げているが、民法上の法律関係のモデルである契約関係について、前田、高村の取り上げた判例を、成年後見法の目的たる障害者保護に関する要因として、当事者利益、紛争性、権利侵害、生活危機の程度、支援体制の5つ、市場の安定に関する要因として契約の通常性、第三者の有無2つを仮定してその関係を表化したものが筆者が作成した(付録表Ⅲ)である。この表Ⅲの事例について検討する。

①判例の検討
医師の能力なしの判断とは違い、意思能力有り、法律効果有効をした例
判例1:【精神分裂病に罹患している者による居住中の自宅不動産の売却(昭和29年3月24日)について、その妻が夫の意思無能力を理由に無効を主張し、買主に対して登記抹消を訴求したが、意思無能力を認めず訴えを退けた。】
裁判所の事実認定:先妻の娘と妻の中が険悪となって家庭内不和が嵩じる中で、夫が当時居住していた不動産を売却して、家財道具を少しずつ運び出した上、娘と共に妻に無断で家出をした。夫は不動産売却の後4月19日にスクーターに乗車中電柱に衝突して頭部に重症を負い同23日に入院した。入院当時には素人目にも精神異常が明らかであり、8月26日には禁治産宣告うけ、妻が後見人となった。妻は不動産の価格を200万と思いこんでいたため、妻に無断で夫が33万で売却した夫は、契約当時、意思無能力であったと主張したが、裁判所は、夫の精神分裂病歴、治療経過から精神部裂病の罹患、妻に対する被害妄想を認めた。かつ家出、妻と娘の間の不和、不動産価格が33万円が妥当である事を認定している。
裁判所の判断:、医師の鑑定書は夫の不動産売却の動機を『Xの住んでいる世界にのみ通用するもの』として妻に対する被害妄想と結びつけているが、裁判所は鑑定書の意見を採らずに意思能力有りとして妻の不動産取り戻しの訴えを退けた。この判断では、不動産の売買価格は33万円だが、医師は200万相当であるとしたが、実際は33万とそう懸隔が無い価格であること、家庭内の不和を考えると夫が娘を連れて家出することは正常な心理をもってあながち理解できない事も無いとして、売買契約の有効と意思能力有りと判断した。
筆者コメント『売却価格が妥当な金額内であることは、意思能力判断に大きく影響している。91) 』と高村も指摘しているが、この契約が通常の合理的な取引であるとの判断、契約の通常性(売却価格の妥当性)を満たしているという判断があり、この契約内容が妥当で有り、この様な契約を行なった個人においてその事理弁識能力を認めている。また妻に対する被害妄想が有った事を認定してなお、契約に至る動機や一連の行動を理解することは『正常な心理をもってしてもあながち不可能ではない』として、売主が精神分裂病に罹患していても、法律効果の有効、分裂病罹患中の夫の意思能力ありの判断がなされた。この取引きには第3者があり、取引社会の安定、当事者信頼保護の必要性も考慮される必要があったと思われるが、分裂病に罹患している者であっても契約にいたる動機、売却金額の妥当性を考慮して判定している。また『家庭内の葛藤の原因である妻が、夫の後見人として本訴訟を追行している点にも、本件の特徴があるということができる92)。 』との特徴を指摘しているが、夫の家庭内葛藤の原因たる妻が追行する訴えを退けた判断は、この家屋に生活することを望まなかった障害者の望みを考慮して保護しているといえるのではないか。医師の判断を資料として参考にしながら、当事者信頼保護の必要性と障害者保護の要請により、意思能力の有りが判断されている。(昭和35年4月15日)

判例2【交通事故で頭部損傷を負った者について、示談書の文字や内容を判断し理解することは困難であったと思われる旨の医師の証言や脳波検査の異常所見による事無く、意志無能力を否定した判例】
裁判所の認定:高校教諭が昭和32年12月24日の事故頭部損傷をおって意識不明の状態になった。12月31日には知能はなはだしく低く、妻や医師の顔も良くわからないような状態であったが、しかし、次第に意識が回復してきた。教諭は3月14日には退院し其の後10月31日まで通院加療を続け、その間9月4、5、8日と示談の話し合いをした。そして8日に示談書に署名して慰謝料11万円を受け取り、同年10月1日には復職し、11月にはⅠ週9時間、翌年4月からは1週20時間の数学を担当している。
裁判所の判断:退院してから示談交渉をへて、9月8日になって交わした示談書について、10年間の後遺症保障の特約や金額の付加について話し合いをしている。場所は警察署内であり、始めは教師側は20万円、相手方10万を提示し会った後で、11万円をうけとっている。医師の証言や脳波検査の異常所見では、意思能力は無いとの判断だったのに反して契約有効、意思能力ありを判断した。医師の証言については、精神科専門医ではないこと『脳波の異常所見についてもそれが意識障害、精神活動の障害に関してどのような意味を有するものであるのか、判断資料もない93) 』としている。示談交渉の経過、慰謝料の金額が11万に至った経過、特約が除かれた経過から、この契約の有効性を認めている。
筆者コメント:原告は判決当時までには精神状態は次第に回復し、復職後の勤務は週20時間の数学を担当するに至っている。この点が判決に影響しているのかは不明だが、障害者保護の要請の少ない事例であるところで、契約の通常性を判断して相手方(当事者)信頼保護の必要性による判断であろうとおもわれる。この場合は示談交渉の経過の通常性が判断に影響を与えている。     (昭和39年10月10日)

判例8【借地上建物の所有者である本人と地主との間に、借地明渡し及び建物売却の契約が成立し、これに基づき地主が明渡しを請求したが、本人は精神分裂病にて通院中であったが、意思無能力を理由に契約の無効を主張したが、無意思能力を認めず、契約を有効とした。】
裁判所の認定:裁判所は本人の病状について昭和47年ごろから被愛妄想、49年頃から被毒妄想みられ、発病当時は多彩な精神症状があったことを認定している。しかし62年6月に借地明渡しと、本人所有の土地売却の話が持ち上がったが、その交渉の間は2週間に1度の通院をしていて被害関係妄想等の症状は見られなかった事を認定している。7月には明渡し代金2400万円で立ち退く事で7月に同意したが、その後、適当な引越し先がみつからず、適当な立ち退き時期を決められないまま推移した。其の後被愛妄想の対象である男子が建物のすきまから電気で本人の体を痛くしているとの妄想の下、本件建物から引っ越せば嫌がらせから逃れられるかもしれないと考えた事が動機の一つになり売買契約書に署名したが、明渡す約束の期日をすぎても明渡さなかった。
裁判所の判断:『妄想の対象である男性が自分の体を痛くしているという妄想自体は、引越しをするように電波に命令されるとの内容の妄想ある場合と比較すれば、売買契約との結びつきは間接的なものに過ぎず』、引越しの合意には合理性が無いわけではないと、この契約の動機、引越しの必要性、代金請求権の発生を本人が認識していた事などを認めている。『本件売却の当時、動機において間接的に妄想の影響を受けてはいたものの、右意思表示の効力を全面的に本人に帰属させる事が本人にとって酷に過ぎるというほどの情況にはなく、意思無能力の状態に合ったとまでは認めることはできないと解するのが相当である。』としている。
筆者コメント:本人の分裂病発病以降の経過を良く認識しながら、そのような厳しい病状の中で、この契約の時どのようであったかを契約に至る動機と行動を精査して判断している。建物売却の動機として引っ越せば建物の改修の必要性がなく、土地の有効利用に協力する事になると言う事、さらに代金も合理的な金額であり、引越しの必要性や代金請求権の発生も認識していた事が認定されて能力有りの判断に影響を与えている。この様な契約の通常性をみとめて、その上でこの契約の結果が障害者の身上に酷で有るか否かを問題にしているが、『酷にすぎる事態』との表現で考慮されたのは、当事者障害者の生活破綻等の有無、危機の度合いと理解することができる。市場における相手方の信頼保護の必要性と、障害者生活の危機の度合いのバランスをもって判断がなされていると考えられる。                  (平成4年3月9日)

事例21【クモ膜下出血の後遺症のある本人Yが借主になった1000万円の消費貸借契約の効力が争われた。Yの妻の父Aが経営する会社の資金繰りのため、Yのゴルフ会員権を担保とする本件消費貸借契約がAの取引銀行とYとの間で締結されXが保障委託を受けて連帯保証人となった。借入金はAの債務の弁済に当てられた。返済期日後に請求を受けて弁済したXがYに対して求償権を行使して本訴を提起したが、抗弁としてY側は意思無能力による消費貸借契約の無効等を主張した。Xの請求が棄却された。】
裁判所の認定:鑑定では1000万の借金の意味を理解する能力があったとされていた。しかし、もともとAは、クモ膜下出血で入院した祭に、実印等を共に預かったYのゴルフ会員証を担保にして融資を受けようとしたところ、ゴルフ会員権は名義人でないと担保に出来ないと言われて形式を整えた事を裁判所は認識しているので、親族Aが障害者の財産を利用しようとした情況が認識されている。
裁判所の判断:クモ膜下出血にあるものについて、『記載内容をみずから読んだ上で理解する能力は無かった』と認定し、契約の成立を否定して、Xの請求を棄却した。
筆者コメント:鑑定の意見を採らずに、障害者の財産を親族が利用しようと情況から、障害者の保護に適う判定をしていると思われる。
                 (平成10年5月11日)

医学的な能力判断がなされなかった事例
判例9【戦後の沖縄で米軍に接収され基地となっている土地の所有権を巡る争い。米軍被接収地所有者である被相続人の死亡後、子供のうちの一人が、孫の1人に贈与していた全13筆のうち12筆の土地の登記抹消請求を行ったが、死病した父親の意思能力有りとして、訴えを退けた。94)
裁判所の認定:被相続人は子供との確執から不眠、被害妄想等を訴えるようになり、昭和35年3月から7月まで脳動脈硬化症精神病で入院し、36年8月頃脳動脈硬化症精神病に罹っていた。そして43年5月に死亡する頃にはかなり悪化していたが、禁治産、準禁治産の宣告はおこなっていなかった。昭和38年の結婚披露宴では招待客を普通にもてなし、土地調査、管理、売買等を自分で行なっており、孫の子守を行なっていた。贈与契約が締結されたのは昭和34年である。
裁判所の判定:昭和34年当時、被相続人が意志無能力とは認められず、孫に対する贈与は有効である。
筆者コメント:禁治産宣告がなされず、医師による判定が無いままに過ごした当事者が死亡後の判決なので、医師の判断が無いため、裁判所が独立的に判断をしている。死亡後の争いで当事者の保護の要請はない事、また、米軍に接収された土地の争いで、取引社会を流通する資産ではないので、取引社会や、当事者信頼の必要性も問題になりにくい。
この場合土地の管理等を自分でやっていたこと、契約時点での日常生活(子守り)、社会的行動(結婚式での招待者との対応)、などの通常性を総合的に判断していると思われる。     (昭和58年11月22日)

判例13【重度障害者Xの父Aが、不動産をXに生前贈与したにもかかわらず、この不動産にYに対する根抵当権設定契約を締結し、さらにXの事実上の後見人B(Xの祖母、Aの母)がこの根抵当権を追認した。其の後Xが禁治産宣告を受け、Bが後見人となったが翌年に死亡した。新たな後見人CがXを代理して根抵当権抹消を訴求したが、これに対してYはXが生来重度の意思無能力者であることから贈与契約無効、Bは無権代理後の就任であるから追認拒絶できないとするYの抗弁を退けて、贈与契約有効、追認拒否できるとした 。95)
裁判所の認定:Xの意思能力については『Xが生来重度の知恵遅れによる意思無能力者であったことは、〈証拠〉により認められる』と判決に記載されているだけである96)。本件贈与についてはAが事業に失敗した為身体障害者であるXの将来を心配したBの主張に従って、本件不動産についていた抵当権等をAが一旦全て抹消してXに贈与していた事が認定されている97) 。後見監督人が、追認を否定している事を確認している。
裁判所の判断:『当時Xは18歳の未成年者でありAが親権者であったことが認められるから、右贈与は有効』であるであるとし、追認拒否の是非については後見監督人がいて、追認を承認しない旨表明しているから、追認拒絶しえないものではないとしてXの請求を認容した。
筆者コメント:Xの意思能力がない事を認定しつつ、その法律効果が本人の保護の目的に適う形で発現されるように配慮された判決である。親権者たるAがⅩに対して一旦抵当権を全て抹消して贈与していた事を認定しているが、それがこの判断に影響があったか否かは不明。障害者の保護が重要視された判断で、意思能力の無いXの親権者としてのAがなした贈与はXにとっては利益のある法律効果なので、一旦は成立した法律関係を維持せしめ、根抵当権の追認については後見監督人の意見にもとづき、根抵当権設定を追認拒否できると構成し障害者の利益を守っている。
                     (63年11月17日)
判例14【知的障害者の所有する建物(借地権上)の管理をしていた障害者の姉が、行った代理行為(違約金支払い予約)の有効か否か、又後に就任した成年後見人に追認拒否ができるかどうか争われ、一審判決、控訴審差し戻し、差し戻し一審、控訴審、上告審差し戻しと争われた】
裁判所の認定:相続により本件建物の所有権とその敷地の借地権を取得した知的障害あるYを、その姉Aが身辺の世話をして本件建物を管理していたところ、AはY名義で本件建物をXに賃貸する契約を締結し、其の後の賃料改定、契約更新等もAが行なっていた。Xに賃貸して12年後に本件建物を取り壊してビルを建築する計画がたてられ、Xはいったん立ち退いて、新築ビルにYが取得する占有部分の建物をXが借り受ける事を予約する本件予約契約が締結された。これにはYの都合で本契約を締結できないときはYが4000万の違約金を払う旨の条項がふくまれていた。この交渉にも主としてAがあたっていたが、Aのもう一人の姉Bも契約書作成に立ち会っていた。Xが立ち退きビルの完成後、AはXとの本契約を拒否して、第三者に借入金の担保として本件建物を譲渡した。そのためXが違約金の支払いをYに求め、Y側が抗弁として、意思無能力を主張した。98)
裁判所の判断:一審ではXの請求が認容された。其の後控訴審係属中にYを禁治産者としCを後見人とする家庭裁判所の決定が出された。控訴審では、Yの訴状受領や訴訟委任が意思無能力で無効であったとして、一審判決を取り消したうえで差し戻した。差し戻し後の第一審では本件契約時のYの意思無能力を認め、BまたはCによる無権代理行為後に後見人に就職したCが追認を拒絶する事は無能力者保護制度の主旨からその職責上やむを得ないとして、Xの請求を棄却した。本件控訴審ではYの意思無能力を認めたが、Cの追認拒否は許されないとして、Xの請求を容認した。上告審では本判決が破棄さしもどされている。
裁判所の認定および判断:Yの意思能力については、『Y生まれつきの聾唖者で、成長期に適切な教育をうけなかったために、精神発達遅滞の状態にあり、読み書きもほとんどできず、6歳程度の知能年齢と推定される』としている。YにはA、Bに代理権を授与する能力は無かったとして、ABの行為は無権代理行為であるとされた。無権代理行為を後見人は追認拒絶できないのかについては、後見人の代理観念に反するような例外的場合には、代理権の行使は許されない事になると解した。そして追認を拒絶する事が信義則に反するか否かは、『本人の相手方が認識しまたは認識し得た事実』などの諸般の事情を勘案し決定しなければならないとして差し戻した。
筆者コメント:この事例では意思能力が無いことは認定されているのだが、その契約の効力は契約の推移の中で、信義則上の検討、相手方がYの意思能力について知りえたのかどうかの検討など、長い時間を経過して起こった様々な条件を勘案して、後見人の追認拒否の可能性を示すなど、二転三転をしている。『両判決により本人の意思能力を基礎として、様々な要素が取引の効力に影響してくる可能性が示されており、そこでは意思能力の有無は取引の効力に影響しうる一要素に過ぎない99) 』と前田は整理している。争われている法律行為の及ぼす効果を、契約当事者の意思能力によってのみ判定するのではなく、効果を求める側の動機の通常性、信義則に適う手続きをふんでいるか、相手はなにを知った上で契約に応じたのかなどの認識も判断に影響を与えている。
障害者の保護と共に相手方信頼保護の必要性という要請が有り、契約の通常性、取引社会における行為の妥当性が判断基準となって、法律効果の有り無しが判定され、医学的な状態もその中の一要素たる位置づけとなっている。(平成4年6月17日)

②意志能力有無の判断軸は何か
この表に取り上げた判例では、争われている法律行為の有効、無効を巡り契約当事者の意志能力の有無が争点化し判断されている。社会生活の中の具体的な法律行為を行った時点での障害者の意思能力の有無が問われている判例である。(判例12、15は同一、14、16は同一事例、)
医師の判断と司法の判断に齟齬ある判例は判例1、2、21、であるが、判例1は詳述しているとおり、医師の診断にもかかわらず、契約自体の通常性を意志能力有りの根拠として、障害者の意思、望みがかなうように判定されている。又事例2は、障害者保護の必要性が少ない事例であるが、契約の経過の通常性が評価されて、意思能力有りとされている。判例21は、医師の判断力ありとの判断に対して「文字通りの意味は理解できたとは言え、にもかかわらず、それによって生じる負担や責任を理解する能力はなかった」として意思能力を否定している。この場合は障害者の親族による財産侵害が有ると思われる事例であり、障害者の保護の要請が高いと思われ、意思能力のないことを理由にする法律効果の無効を判断した。これらは、医療的な判断とは独立的に障害者保護、契約の通常性による相手方(当事者)信頼を保護する必要性を判断軸においていると思われる。
意思能力ありで法律効果有りの判例は、判例8、9、である。事例8は、契約の通常性を備えている点をふまええつつ、分裂病の症状を発病からの経過を認定しながら、契約時点での病状を精査して意思能力ありとしている。精神科通院中の事例であっても、妄想活発であっても、この契約の前後の事件の推移を詳しく認定して、そのながれの通常性を認めて、意思能力有りと判断している。判断に祭して、この意思表示の効果を全面的に当事者に帰属させる事が酷に過ぎないことを認定しており、相手方信頼の保護と障害者の保護の両面が斟酌されている判断と思われる。事例9は当事者死亡後の争いなので当事者の保護の要請もなく、第3者もなく、医師の鑑定も無い中で、その生活の通常性をもって意思能力有りの根拠としている。
意思能力無しで法律効果無しとはなっていないのは判例13、14である。契約当事者に意思能力はないけれども、判例13は遺産の相続で当事者には有利な契約、第3者はいない契約である。契約有効としているので障害者保護に適う判断がなされている。又事例14は意思無能力の障害者の代理人の行った契約の効果を判断するに当たり、多くのファクター(契約の通常性、信義則等)がその判断に影響を与えている事が伺える。
医師の判断がそのまま意思能力の有無に結びついているのは判例3、5、7、12、22、である。法律効果による影響は障害者の保護にとってそれぞれ有利に働く判例とおもわれる。また、後の禁治産の宣告をもって医学的診断とすれば、判例10、11、15、17,20、は意思無能力との判断をえている。判例11は詳細不明である。事例10は判決当時は鑑定はされていないが、医師の診断書と夫の証言により、10年以上前から5回入院歴ある躁病の障害者の意思能力は、「有った」とは認められないとしている。他の3判例は障害者の財産に詐欺など犯罪的な被害が有り、其の後禁治産の申し立て審判という経過をへているので、障害者の保護の要請からの判断と思われる。
例外的に、障害者に不利な法律効果が確定した判例については、事例9は当事者死亡後の判例、判例6は妻が同席しての契約書への署名であるなど契約の通常性を重視している判決である。この当事者の生活に及ぼす法律効果の影響は不明である。
以上から、これら判例では意思能力の有無の判断は、法律効果の有効、無効との関連で問題になるところから、契約の通常性が認められるならば、通常性を有する契約を行ないえた事をもって、その契約を行った当時者において意思能力ありの根拠になり、また日常の生活状況通常さも同様である。相手方保護をせざるを得ない程の非通常性を有する契約である事は、取引の相手方保護の必要性を生じるとともに、その契約を行った障害者の意思無能力判定の根拠でもあり得る。またこの契約等による法律効果によって生じる障害者の生活の危機の度合い、つまり「この契約の結果が障害者の身上に酷で有るか否」と表現されている当事者保護の要請、紛争性や権利侵害の存在、そして医療の診断や鑑定が、判断に影響を及ぼす内容になっている。 

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8章 能力判定を巡る論点
成年後見制度の審判、鑑定についての論点を整理する。

①法律家の学説、論点に関連して
前田は『民事精神鑑定と成年後見制度』において民法学の通説的見解である我妻説、川島説を紹介し、川島説では「一種の価値判断」である法的責任の判断と精神医学の判定とは「別の次元の問題」としている事100) 、また新井は、『成年後見制度と意思能力』において前田が意思能力の判定においては医学的判定(医師による鑑定)と、司法による意思能力判定は別個のものとして「法律学的判断」の具体的内容を詳しく検討している事を紹介している101) 。これらの内容は、当6章において検討したように判例においては、医学的判定と司法判断は必ずしも同じ結果を導いてはいない事とも矛盾は無い事を示していると思われる。

そして前田は平成11年制度改正時の学説として、心神喪失の内容を「心神喪失とは意思無能力であると解する立場が通説であった 。102)」と紹介し、現通説は意思能力とは「行為の結果についての判断能力のないこと103)」 であると解していたとし、「心身喪失と判定されうる精神障害の病名を掲げる学説を含めて、通説は医学上の鑑定結果と法的判断との峻別を前提にしている104) 」と紹介している。

鑑定書の手引きが示す鑑定3項目を理解するに当たり、①③が医学的な判断であり、②は①③を踏まえてそこから引き出される財産管理能力の有無の判断であれば、財産管理能力は医学的状態から導かれる事になる。医学的状態から引き出される能力であれば、法的能力である意志能力概念とは別個という事になる。(①③と②は其々独立した判断として構成するかあるいは相互作用的に影響し合う関係であればその限りではないと、私は10年前は論じている。)
鑑定書の手引きで4つのカテゴリーに分類する事を求められている医学的判断(鑑定)と裁判所による法律的判断(審判)との関係については、互いに独立的なのか相互作用的であるのかなど様々な関係付けが有り得る。この関係をどのように考えるのかは成年後見制度が問わざるを得ない個人の能力概念に基本的に規定されると考えられる。鑑定においても、審判と同じく4類型としている理由について、立法者の説明は述べられていない。
新井は『成年後見制度と能力判定』において意思能力(法的能力)の判定の問題についての学説を整理紹介して105) 、その中で重要と思われる4つのポイントを挙げている。一つ目は意思能力を法律行為一般に必要とされる能力として、その有無は2者択一的理解をしていたのを、法律問題の難易度やその程度により、同一個人が判断できたりできなかったりする具体的な法律行為を想定して判断する、所謂能力概念の相対化が見られる事、二つめは前述の前田説を紹介して純粋に医学上の判定による法律判断としての能力判定は不可能である事、三つめとして意思能力の機能的理解に関する主張として中舎106) を「自然人における能力概念もまた、実際上はある問題解決のための技術である事に変わりはない」「今後は意思能力欠如に対する法律効果に関する議論も、意思能力概念が問題とされている領域おいて、この概念が具体的な問題解決のために有する機能から、その意義が規定されていく事になるだろうと結論している。」と紹介している。四つ目は医療の側からの提起としての西山説を紹介し、西山が鑑定にあたってする判断は、生物学的要素(精神の障害や精神上の障害があるかどうか、有るとすればその種類・程度に関する判断)と心理学的要素(事理弁識能力が低下しているかどうか、低下しているとすればその程度)を綜合した混合的方法による判断であるとしている事、またこの判断は裁判所による法律的判断の前提になるべき事実判断であり、法的要件としての心神喪失等の認定については最終的に裁判所が法的評価からの総合的判断を下すべき事 107)としているとする。
また山崎は家裁月報48巻7号1頁の、深見による「わが国における成年後見制度の現状と若干の提言―禁治産宣告事件等を中心として」「当該法律行為の社会的な難易度、それに要求される意思能力の程度は、医学的見地のみから判断しきれるものではなく、鑑定人にとって、多岐にわたる法律行為につき、この種の行為についてはそれが不十分であるというように、逐一かつ遺漏無く判定を行い、行為の類型ごとに裁判官による判断の為の有益な資料を提供する事は、至難の業であると言う他なかろう108) 」との言を紹介している。

②医学者による提起
豊富な鑑定実務の実績をふまえた精神科医師として、精神機能の病変はどのように医師側に認知されるのか、その内容を鑑定書や診断書にどのように表現するのかという立場で、西山、山﨑は、能力判定の構造を3層からなるとしている。3層については。西山は「生物学的要素」、「心理学的要」、「法律判断」と呼び、山崎は「精神医学的診断」、「心理学的能力の判断」、「法的判断」としている。西山は、心理学的要素を説明して「事理弁識能力の低下しているとすればその程度を判断するもの109) 」として、仙波らの説を引用し「心理学的要素にも事実的側面と規範的・評価的側面がある110) 」としている。(また刑事鑑定にも言及して「裁判所は心理学的要素については、精神の障害が犯行に及ぼした影響を考慮しさらに、犯行の動機、計画性、態様、犯行後の行動、犯行についての記憶の有無・程度、病前の性格、行動、犯罪傾向との関連性などを認定した上で規範的な立場から評価を加えて、弁識能力・制御能力がどの程度かを確定し(これが綜合判断)、最後的に心身喪失、心身耗弱を認めるかどうかを判断する事になろう111) 」と展開している。)
山﨑は事理弁識能力は「広義の反応力という主旨」で規定された用語で心理学的能力の判断については、西山の説と「大きな差はない112) 」としているが、「精神上の障害」に加えて人格障害の事例を引き、「制御能力」も含まれるとしている。西山は理想的な鑑定書の観点から、山﨑は家庭裁判所医務室技官である医師という立場から、「心理学的判断」と「法的判断」の境界線を西山は法的判断よりに、山崎は精神医学よりにずれ込んでおり、その違いを図示している。これらから、心理学的要素とは個人が何だかの精神機能の働きかけを行うよう予定された場面で、どのような働きかけを行い得るのか得ないのか、その様態、程度と考えられる。その程度を判断するに当たり規範的評価としての側面が入らざるを得ないので、法的判断に近いとの理解になると思われる。それは精神科的診断の特殊性、前述の国際的な診断基準の動向、多軸の構造からも理解できると思われる。
個人が精神機能を働かせる局面は社会関係的な係わり合いが前提にあるので、臨床家の取り扱った事例毎に個人の置かれた社会的な立場の違い、情況があり、その違いにより心理学的要素とされる内容、斟酌すべき事項は異なる事が想像され、心理学的要素について西山、山﨑が完全には一致していない事は当然であろう。また山崎は鑑定医の不足を念頭に鑑定医にとって判断しやすい形113)を念頭にしているとも述べている。

ところで現在の日本では、精神機能の病変を抱えた人々は、多くは精神病院の入院患者又は外来の患者として、彼等の生活圏は精神医療システムの中、あるいは生活の大部分を精神医療と接している。高齢化社会を迎えて痴呆性の高齢者が問題になるのは近年になってからことで、一世代前の日本人は痴呆状態で永きを生きながらえる事例は少なかったので、精神機能の障害を持つ人々は病院や施設の入院者、入所者が大半であったと思われる。
平成5年データでは入院患者の63.5%が精神分裂病(統合失調症)と主要部分を占めており、その他は、躁鬱、神経症、痴呆性高齢者等である。成年後見制度の利用者は知的障害者を含んでいるけれども、現在の日本社会において、精神機能の病変、低下をきたした人々の「能力」のありようについて最も精通しているのは精神医療の領域である事は疑いが無い。 
五十嵐は、精神医学における評価、判断の特性について、血圧の測定をする血圧と血圧計のように直接測定する事のできないものとして、「心理現象は、行動もしくは行動から観察できる内的体験とも言える 114)」「つまり、抽象的な構成概念(内的体験)は、直接測定可能な具体的現象(行動)の測定を通して間接的に測定されるのである。115) 」として、そのためその測定には多くの項目をもって多元的な構成概念をもって試みられている事を紹介されている。知能を構成する概念は、知識、数唱、算数など合計11の尺度であるが、客観的な評価手段とするため、「評価のために必要とされる事項のリストを作り全ての事項について一定の方式の下に質問を行い、そこで得られた情報を操作的な判定基準にもとづいて評価する評価尺度が作成されるようになった116)。」としている。
 そして病院という施設では、個人は面接室や病室などの社会から隔絶された場所で患者として診察されるべき人としての姿をもって現われている。そのように対象者を見慣れている環境で考える対象者の能力概念は、社会関係を捨象した個人の内的な状態像となるのは自然であろう。しかし、成年後見制度が問うている能力は、その人が生きて社会の中で様々な社会的な行為を行なう時、なにをまき起こすのか、それが問題である。起こった事や、起こると予想される事のための民事的保護制度、そして取引関係の保護(当事者信頼の保護の必要性)が問題であり、その問題はその人が所属し生きる社会、他者との具体的な関係そのものである。その意味では、買い物という具体的な対社会的な行動を問題にして後見類型と保佐類型の能力を判定するという西山のコメントは、示唆に富むのではないだろうか。

③ドイツ、コモン・ロー諸国の立法形式の中で問われる能力
新しいノーマライゼーションの理念を受け入れて、障害者の市場の取引への参加を前提にする民事法改革、新成年後見法の創出が世界的にも相次いでいる。市場の保護を果たしつつも、障害者はその自己決定権を尊重され、残存能力に配慮される方向である。

このテーマに沿って改革に取り組んだドイツの新成年後見法(世話法)は、伝統的に能力剥奪をせずに行ってきた障害者監護法(福障害者祉の制度)と、能力剥奪を行う禁治産(旧成年後見)制度という二つの法制度が合流して、新世話法が立法されたという歴史的経過を経ている。特にこの一方の障害者監護法(Gebrechlichkeitspflegschaft)の対象者は精神障害者ばかりでなく視聴覚系の障害者(身体障害)をも含んでおり、行為能力の有無とは無関係に監護を行ってきた歴史的な経緯であった。この障害者監護法(Gebrechlichkeitspflegschaft)による行為能力剥奪を伴わない監護については、判例上の葛藤も経つつ、かなり広汎に利用されており、「行為能力剥奪宣告と後見という制度は、障害監護制度によって駆逐されてしまったとさえいわれております 117)。」とドイツ世話法以前のドイツ社会の状況が紹介されている。
この伝統の中で、世話法は行為能力を剥奪せずに必要な世話(障害者監護)を行うと言う法形式を採用する訳である。結果として、「世話の劣後(他法優先)」、「世話の必要性」が世話法の原則であり、この原理の実現のために制度を利用する為の手続きは、能力剥奪を放棄しているので、民事訴訟法から非訟手続き法に変更されて規定された。その中で制度利用者は「能力推定の原理」において訴訟能力を持ち、鑑定書が提出されてから初めて世話人が選任される事を原則としている(例外あり)118)。当事者の生活実態と申請の内容についての社会調査のために、後見裁判所の裁判官と書記が、当事者の日ごろの環境、住まいにて聴聞を行うという規定である。119)世話の必要性に関する鑑定書が、原則審判手続きの開始の要件であり、生活の場での社会調査により、世話の範囲が決められるので、その時に問題になる能力は、世話の必要性、その範囲を語る、利用を申請する人の生活危機の存在と、それに対する危機対応能力の度合い、不足と考えられる。「必要性の原理」を追求する手続き規定によって問われるべき能力が顕かにされている。

またかつてのイギリス連邦内の国々、コモンローの伝統にある諸国でも「法定後見制度をより利用しやすくするという方向での改革」を進めつつ、行為能力減退後も代理権を持続する、持続的代理権授与法(enduring Power of attorney、EPAと省略される)の法制化を進めて、二つの制度併用で高齢化社会、ノーマライゼーションの社会に対応している。
法定後見制度は「精神無能力者」という認定を受けるというスティグマ(烙印)を伴うものであり、手続き、費用もかかるところを「安くて、簡便で、自分でできる」を特徴とするEPAとの併用という構成であり、ここでは利用者である障害ある市民の「保護と自己決定(自律)のバランスをどのように取るのかについて、法技術的に一番腐心しているのではないか 120)」という指摘も見られる。
そしてEPAの発効の為に「能力の喪失又は減退の判定をする者をあらかじめ決めておきます。」との明文規定を持つカナダアルバータ州法では代理権発効は「将来の特定の時日、あるいは特定の事件の発生の時から発行する121) 」との規定であり、意思能力減退前に、自己の将来の代理人を自律的に指定する事が予定され、実施されている。この規定では発効の日時の指定が無い場合は、生活危機、事件の発生によるとされるので、いわば能力判定や、我が国後見制度の審判に相当する代理権発効の要件自体が、世界的な新成年後見制度の原則である、「世話の劣後(他法優先)」「世話の必要性」にかなうべく、必要最低限の代理権発効という内容に合致していると言えよう。 

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9章 能力概念に関連して
成年後見制度の鑑定が問題とする能力は、個人の法的能力、意思能力の具体的表現である事理弁識能力、その程度を判断する為の医学的見地からする個人の財産管理の能力である。鑑定の手引き、記載ガイドラインによれば、5.家族歴および生活歴、6既往歴および現病歴、7生活の状況および現在の心身の状態という5から7までをふまえて、鑑定主文に於いてその程度の判定をするとされている。この5から7のうちの5,6については現在の心身状態の背景要因として理解できる。
そして7は生活の状況および心身の状態であり、日常生活の状況として①ADL②経済活動(買い物、日常の金銭管理、預金通帳の管理、貴重品の管理、強引な加入への対応、金額の大きい財産行為等)③社会性(近所付き合い、交友関係)が指定されている。その障害ある個人が、具体的な財産管理をどのように行っているのか、行う事ができないのかを記載するもので、この部分は身近にいて生活実態を知る者が把握できるであろう。最高裁判所事務総局家庭局の示した診断書の記載例によれば、自己の財産を管理処分する事が、①できない、②常に援助が必要、③援助が必要な場合が在る、④できると4段から選ぶように求められている。
続いて生物学的固体としての心身の状態の記載[理学的検査、臨床検査(尿、血液など)]を求めている。心身の状態のうち精神の状態の記載は、裁判所は①意識②記憶力③検討識④計算力⑤理解・判断力⑥現在の性格の特徴⑦その他⑧知能検査、心理学的検査までを判定領域として指摘しており、このように内容的にも項目を指定して求める重要な部分として、量的にも大分を占める記載部分として構成されている。精神の状態は、このように8項目に分けられて1ページにわたり記載するよう求められているのに対して、生活の状態の欄は項目別もなく、統合失調症の記載例で25字で7行、知的障害で14行、脳血管性痴呆で13行と相対的に少ない記載である。
次の8説明の項は5から7を纏めて主文に求められる鑑定事項の3項目、①精神上の障害の有無、内容及び障害の程度②自己の財産を管理処分する能力③回復の可能性を導き出す文章である。

ところで、これまで精神医療が障害者個人と向き合ってきた病院、臨床場面は、社会から一定程度隔絶された空間である。そのため、精神障害者の疾病や精神機能の異常は個人の内面の精神状態、心理的様態として捉えられても、社会生活場面ではどのような状態像であるのかが把握される機会が乏しかったと思われる。
浪費者を除けば、精神科病院の長期入院者や福祉施設の入所者として社会生活場面に登場する事は想定されにくく、施設において、病院内において必要とされる行為を行う個人として存在していたので、障害ある個人の能力を判定しようとして、医師が市井の中にいる精神障害者の活動状況をも含めてその能力を判定しようとする視点は必要性もなく、要請もされて来なかったと思われる。高齢化社会を迎えて痴呆等の障害高齢者等の地域での生活が想定され始めたのであり、また脱施設の時代をむかえてはじめて、精神障害を持つ人々における社会生活場面を生きる能力が問われ始めたのである。そこで社会生活場面を生きる能力を測定しようとしても、これまでの精神障害を持つ人々の能力判定のノウハウを下敷きに検討、工夫をせざるを得ない。そうなると個人の能力を臨床(病院のベッド)における個人の内面の精神機能の問題、心理的様態、心理過程のありように根拠付けて、その程度を正確に数量的に測るという臨床検査に向かう事は自然であろう。ここに精神医療が求める心理検査等が適用されて、どのように客観的指標として測定できるかと言う問題意識になり、現在は成年後見制度との関連から生活問題解決との関係を優位性あるデータとしてとる手法、その検査結果が、優位性ある数値として測定できるか否か122) に関心が向かっていると理解される。

しかしこのような概念構成で、その個人の社会的行為における能力は、どこまで具体的かつ正確でありうるのだろうか。まず個人は同じ生物学的条件、心身状態にあったとしても、おかれた社会環境、経済的条件、家族構成、その時々の生きる意欲、モチーフ、望み、愛情関係などにより、生活を維持するために働きかける様態は異なるわけだし、なによりもその時代、国によりその時その個人に求められ生活維持のために判断する内容も異ならざるを得ない。従って要求される生活判断事項、対処するための能力水準は可変的であり、さらに判断した意思を表示する事自体も相手のある事であり、所有財産の多寡や様態によっても求められる能力水準は異なるであろう。
こう考えると一般社会から隔絶された臨床場面ではなく、個人が社会の中でさまざまな条件下で社会関係を結びながら、他者と相互作用的に影響しあう生活の中で発現される個人の「能力」は、法律関係と言う「相手がある社会関係」において法律効果を生じて問題となってくる能力なのだから、この社会関係との関連において概念付け、想定される事が求められると思われる。個人の身体の外に、社会関係、法的関係として外在化、客観化されて明確化される判断軸が求められるのではないだろうか。

① 医療同意に求められる能力
白石による「医療における高齢者の同意能力123) 」においては、医療同意に関する判定基準は、時代により変遷してきたが、20世紀半ばにインフォームドコンセント(以下IC)が提唱され、定着を見てからはその判定基準がICによって変化をもたらされているという興味深い記述がみられる。医療への同意能力は個人の認知過程において要請される理解力、論理的思考、認識、相手への表明能力によって測定され得るとされているが、ICが普及する以前は「多くの国において同意能力の有無は医学的診断や入院などの状態像から自動的に導かれるものとされた。124) 」という。「次いで専門家と同様の判断をする事(「客観的な合理性」基準)や、選択の結果が「本人の最善の利益」にかなっている事(「結果」基準)などが俎上に乗るが、ICの時代には「本人らしい」決定である事が尊重されるようになった 。125)」とされている。
この事は医療同意と言う抽象的能力がICと言う方法、制度に引き寄せられて、その事例においてインフォメーションされる事項の理解力、設定された質問事項に対する回答を選択肢の中から選ぶ能力として限定され、抽象的能力が具体的に限定された能力に転換したものと理解される。状態像から自動的に導かれるものとされた能力が、設定された質問にどう答えられるかと言う問題として、判断軸も具体化され、判断の基準も合理性基準、結果基準、本人らしさへと変化し得たと理解される。
つまりIC以前は医療同意能力は一般的、抽象的な能力なので、状態像についての操作的な基準をもって有無の判定が行なわれていたが、ICにおいては、具体的な情報提供があり、その内容の理解がなされたか否かによるので、そこで求められる能力はクリアカットに形作られ限定された内容に対する理解や反応として外部(医療提供側)に測定され得るところとなったのであろう。
現時点ではICはインフォ―ムドチョイスへと変化しているので、そこで求められる能力は、さらに選択された治療方法の内容を比較検討して決定する能力なので、抽象的に設定せざるを得なかった精神機能が、必要とされる則面をインフォームドチョイスにひきつけて具体化して測定でき得るであろう。その同意の場面で当事者に要請される能力は、測定され易い、整理されやすい判断事項への応答性となっているのではないだろうか。
このように判断能力といっても、社会生活場面で必要とされ要求される能力は、制度のあり方で変化し、具体化されるのであり、又生活機器や通信技術の水準、社会の技術水準、社会資源等によっても影響をうけ、変化するだろう事は想像に難くない。
また最近まで成年後見の事務としては、財産管理ばかりではなく、身上監護をも含むとすると、事実行為をも含む事になるのではないか、そうなると実際の介護ケアの義務を後見人が負うことも想定され、後見人の負担は大きすぎるとの議論もなされていたと言う。当時は介護保険という社会制度が無かった状況下での議論なので、後見人にはかなり長期にわたる介護負担も有り得るという状況であった。しかし現在の介護保険の整備水準を前提にすれば、介護保険のシステムの外にいる後見人が行なう有効で迅速な介護ケアニーズへの対応は、危機対応を除き介護保険の介護支援相談員、指定介護支援事業所への通報である。危機対応は後見人ならずとも対応する場面がありえるし、介護保険は事実発生主義を採用しているので事実が把握されれば介護サービスは直ぐに提供され得るシステムである。
社会制度や、生活器機等の生活を取り巻く環境の変化は、生活維持の為の判断事項や枠組の変化をもたらし、要求される能力水準の変化をももたらすであろう。

② 過失論の展開をめぐって
堂垣内の民法入門によると、「故意・過失は伝統的な定義では、心理状態だと定義されてきた。126) 」と紹介されている。「故意とは、自己の行為が他人の権利を侵害する事を認識しながら、あえてこれを行う心理状態であり、過失とは、右の事実を不注意の為に知らない事127) 」と説明されている。過失とはうっかりしているという心理状態なので、きちんと注意していれば注意できたのにそれをしなかった点に責任が求められるわけだが、求められる「きちんとの程度」、「注意を払うべき範囲」が人により状況により一定とはいえないので、不法行為を成立させる主観的要件としての過失であれば、「被害者の立場からすると相手が『うっかり者』であったからといって救済が受けられないのでは困る128) 」といった不都合を指摘されたと説明されている。
そこで過失とはその状況のその社会的立場にある個人に当然期待される行動を行わなかったか、期待に反する行動を行ったかと言う事と考えて、心理状態とは異なるとする説が通説となってきたという。近時の定義は、「行為をするものが、その種類の行為をするものに通常期待される結果回避義務に違反する事 129)」となっているという。
社会関係としての行為(法律行為)が行われる時、その時の心理状態(過失・うっかり度)が行為に及ぼした影響により生じた不都合があったならば、その心理状態(過失・うっかり度)は、不都合なる法律問題となって現われ、その社会的影響によって測られると言う事であろう。結果回避義務の発生の共通要件として、結果の予見可能性があげられ130) 、予見義務は①その種類の行為が持つ一般的、抽象的危険性 ②その行為者の職業・地位など ③予見義務を課すことにより犠牲にされる利益などを、総合的に判断してその存否が決定されるとしている。其々の個人の社会生活場面で、具体的条件を持った個人が、社会的に許容されうる「うっかり」あるいは「うっかり度」が引き起こした社会的影響を含めた形で、予見可能性と結果回避義務として外在化され、客観化されたと理解される。
この論点を責任能力制度の意義を多様な過失論所論の紹介をもって能力の判定基準との関連を論じようとしているとしている前田 131)は、過失の定義について、現在では「受忍限度を越えた損害を他人に与え場合には、予見可能性の有無に関係なく「過失」があるとする受忍限度説、損害回避義務違反とする平井説、結果回避のための行為義務を尽くさなかった事であるとする前田説などの諸説ある事を紹介し、近時の通説は、過失は心理状態ではなく、法律関係として表現されたその内容、争点化している事実関係において認められるとの立場が通説となっていると纏めている。

③鑑定とノーマライゼーション
我が国の新成年後見制度の鑑定において判定される能力は、鑑定書の手引きを見る限り、個人の生物学的医学的条件としての大脳の機能、そしてホルモンバランス等が加わり、それら心身状態から導かれる、心理状態、ないしは心理過程などと概念付けられていると思われる。そしてこの概念は障害者個人の持つキャパシティ、あるいはコンピータンスなどとして直感される医学的、精神的能力と考察132) されるという解釈も見られる。
それは、制度を利用する障害ある個人内部に、その個人に帰属している能力として、その個人の心理的様態や心理的過程といった個人の意識内部の様態として構成される能力概念と考えられる。このような能力はその人の人格、人間性と一体的な属性を構成していると思われ、そうなるとこの能力の減退を宣言されることにはスティグマ(烙印)が伴わざるを得ない。この方向は可能な限り回避して行く事がノーマライゼーションからの要請として理解される。

HWOはICIDH(国際障害分類)を提示して障害概念を新たにしているが、その中で、障害状態を補う社会制度を整える事によって、障害者の生活における社会的不利は、心身の状態、障害の様態とは離れて、その生きる社会の環境要因により軽減され得るという、いわゆる「障害の相対化」が示されている。そこで障害者の生活舞台である社会の側に、障碍者への支援制度の整備を求めるという展開である。
この傾向からは、障害者の能力は医学的生物学的に測られる事では十全とはいえず、その障害を持つ個人が自分なりの工夫と意欲をもって、どのような社会制度や支援制度を利用して、どのように生きようとしているのか、障害者の自立(自己決定)を前提にする事が望まれている。制度の利用者である障碍者は、相手のある社会関係において、どのような生活を営み得るのか、得ないのか、障害者の生活環境条件の中で、どのような支援が、どこまで必要なのかを判断をするための資料として、鑑定が位置付けられるのであろう。 

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10章 考察
ノーマライゼーションを指導理念としている新成年後見法においては、障害者はすべて普通の市民と同じ権利(公民権、市民権)を有しているので、障害により権利が制約される場合は、その特殊性において必要なサービスによって支援され、補われる事ができる。すべての個人はQOL(日常の生活の行為)ノーマルなるために、成年後見制度の後見人の代理権、拒否権、追認権によって自己の権利を行使し、市民生活を全うする事ができるよう配慮される。

これまでは、意思能力が不十分な人々は施設、病院など市民社会から隔絶された空間に生きていた事実があって、そのような人々は市民社会の取引から外れた個人として、包括的に行為能力剥奪を伴う禁治産制度(旧成年後見制度)をもって対応されていた。この構造は意思能力の不十分な人々の生活舞台が、市民的取引社会の外側(施設、病院)にあるという前提で、有効に機能していた制度であったと考えられる。

しかし、ノーマライゼーションの理念を受け入れつつある社会では、意思能力が十分であっても、不十分であっても、市民として同じように、市民的取引社会と関係しつつ生きることが望まれ、社会の側がそれを保障しようとする。

2000年1月、最高裁判所事務総局家庭局は新成年後見制度の鑑定について、「新しい成年後見制度における鑑定書作成の手引き」により、鑑定書記載ガイドラインを示している。その中で鑑定事項は①③の医療的な診断をもとに、②の財産管理能力についての判定を「医師」に求めている。これは当5章で述べているように、精神疾患の医学診断自体が多軸的に患者の行動や環境要因を含めて診断する構造であり、現在の日本では精神障害者について最もよく把握できるセクター、精神病院の医師であると言う事情が反映されていると理解せねばならないであろう。

鑑定は専門職医師の提出する司法判断(審判)のための資料であり、ここで成年後見事務の二つの事務(財産管理、身上監護)のうち、財産管理能力についてのみ判断を求めており、身上監護能力については求めてはいない。日本の成年後見制度は、身上監護における重要事項、医療同意、居所指定(施設入所等)を除外している所から、福祉法制との境界は曖昧とならざるを得ず、成年後見制度は、訴訟を用意して行う障害者への権利侵害に対応できる民事的保護制度であっても、あえて身上監護能力を問わずに審判が構成されていると思われる。

ところで事理弁識能力の程度を4段階に分けて判断する裁判所の審判の重要な資料、医学的見解である鑑定でも、制度の利用者の、医学的な状態から引き出される財産管理能力を、法定後見の3類型に対応する構成として、意志能力有りを加えての4段階に分けて求めている。この能力は、医学的判断であれば、利用者の心身状態から推定される能力であり、個人の身体内部に宿ると想定される能力であり、それはあたかも19世紀、市民社会の勃興時、新しい近代契約原理において、契約効果の根拠とされた「内心の意思」に相当する概念構成に重なり、共通的とも考えられる。

しかし成年後見の行為能力の前提たる意思能力の有無が司法で判断されているケース22ケース(戦後のみ)における法律的判断について分析している資料を検討し、法律判断と言われる内容、その判断軸、判断領域を再整理すると、法律判断の軸は制度の目的たる障害者保護、障害者を含む市場の保護を念頭に、医学的診断を参考としつつ、その行為の効果が及ぼす障害者の生活への影響を、その家族関係など支援のあり方、紛争性、権利侵害の様態、さらにその契約にいたる事情、個人を取り巻く社会関係と、契約の外形の通常さを総合的に判断している事が分かる。

我が国の新成年後見制度は、能力剥奪を伴う民事的保護の形式を残しており、かつ利用者の85%に及ぶ後見類型では包括的にすべての行為能力を剥奪するので、最後的な保護の制度としての生活保護法が「補充性の原理」をもって「他法優先の制度」として機能すると同様、他制度での保護が利用できない事を確認の上で、初めて最後的に利用される制度で無ければならない。そこで、新制度が指導理念として掲げる「能力推定の原理」により、当然に能力剥奪は必要最低限で無ければならないという「必要性の原理」が掲げられるのであり、意思能力剥奪を伴う支援についての、生活上の必要最小限度の適用が検討されねばならないであろう。

なぜなら、この法の目的が行われるべき障害ある利用者は、理由はいろいろあり得るが、現に市民的生活上の危機が存在し、あるいは危機が予見される個人であり、意思能力が不十分である人の全てではない。意思能力が不十分であっても保護的な環境で安全に生活しており財産関係も紛争なく処分される事ができる個人は、医学的に精神機能が衰えていても、あえて能力制限を行われないままに死を迎えているのが、市民社会の現実である。さらに民法は意思の欠缺の規定を有しており、健常人における意思の発現たる契約等意思表示にも、瑕疵がありうる事が示されている。健常な個人においても、尚である。

世界の成年後見制度(禁治産制度)の改革の目的は、伝統的な市民的取引社会の安定に加えて、ノーマライゼーションの社会を前提にしており、地域生活を行う障害者の保護について、自己決定権を尊重しつつ対応しなければならないとされ、わが国においても後見事務に身上監護を加え、ドイツ世話法においては「世話」と言う福祉的概念によって、能力剥奪をすべての人において放棄している。結果として司法判事自身が障害者の生活場面での面接を行う手続き規定を持って、「能力推定の原理」を働かしめる審判の規定を持っている。

またWHO(World Health Organization)は、この間障害概念の転換を行ったが、この転換は新成年後見法の指導理念であるノーマライゼーション理念の展開とともにあり、人々の障害がその人の人格的属性、人格の一部として受け取られ、人格的サンクションを形成することから逃れて、精神・身体機能の障害が、その裏返しとも考えられる活動力に焦点を移しており、国際障害概念は国際生活機能分類(CIF)と改められた。この新たな視点になる個人の活動力に関与する条件とは、生物医学的条件、心身機能、身体構造、活動と参加、環境因子であり、最高裁事務総局家庭局の示した鑑定記載ガイドラインにおいて、未だ不完全なものは「活動と参加」、「環境因子」である。

新成年後見制度は、様々な条件をもって生活する市民の現実において、生活と生命の安全を脅かす生活危機が起こることが予測される場合に、特にその危機が深く、他法では危機からの保護が不可能な場合に、法的代理人によって有効にその危機を回避するための制度である。危機の度合いが審判において個別的に検討された上で、支援が受けられる事が望まれている。

このため、成年後見制度の能力判定(審判)においては、制度の目的、伝統的には、市場の保護(契約の相手方の保護)であり、障害者保護であるところ、新法に加えられた「障害者の自己決定、自律」を念頭に、保護に優先して利用者である自利弁識能力の減退したした市民における「自己決定、自律」に配慮されねばならない。

そのためには、個人の個別的生活環境において、現実の生活危機の程度と障害者の危機対応の様態が、個別具体的に把握され、保護の必要性、その範囲の限定のための審判が行われる事がのぞまれる。

その判断へ向けた医学的見解である鑑定(医師の行う判断)においては、医学的であって、心理的な状態把握が求められる事になろうが、障害者の生活実態を良く把握するセクターからは、①生活危機の度合い(資産の多寡、医療的侵襲の度合い、住居の詳細等)、危機の生起可能性、利用者の危機認知度 ②危機に対応する、その利用者障害者における活用可能な社会の支援制度、家族支援等私的ネットワーク、③これらと障害者の位置関係に関する資料が必要となろう。現在は介護保険のケアマネ、家族からの情報を得ている部分である。

そこで意思能力の判断を行う審判の医学的資料においては、利用者の心身の医学的状態把握をベースとして、生活危機回避能力を構成する、危機回避のための、社会資源(制度、家族、有事、地域社会等環境要因)の調達システム調査と重なりあう情報が、障害者の生活実態をよく把握するセクターからは提供される事が求められる。制度の指導理念、「必要性の原則」と「補充性の原則」の要請としては、その評価軸は個別的とならざるを得ず、類型的な評価軸では個別的に対応できない。

成年後見制度は市民的生活を十全に行なう為の制度であり、契約における私的自治を補完する制度である。高齢化社会に活発に消費生活を行なう多くの高齢者の登場を前にして、継続的契約原理など、実質的平等が問題となる契約法理の流れをふまえ、市民社会の新たな構成要素と言うべき規模の層をなして登場する障害を持つ個人への手当てである。

ジェネラルな制度体系、普遍的な制度でであるからこそ、包括的な能力剥奪ではなく、個別的な条件に対応する個別的な行為能力剥奪を、個別具体的に決定することが出来る審判、必要最低限の能力剥奪を審判できる事が、新成年後見制度の制度創設の理念からの要請であろう。

そのため、意思能力剥奪を行う時の最も基礎的な情報、医学的見解である鑑定においては、類型的な状態把握、能力把握を避けて、個別的な事情を検討して反映した一元的な能力判定スケールによる医学的判断が求められており、その事が「能力推定の原理」「必要性の原理」「他法優先」と言う新制度創設の理念にも叶うと考えられる。 

おわりに
このような能力概念を想定すると、先ず意思能力を問題にして成年後見制度の利用類型を選ぶのではなく、生活危機のありよう、危機への対応の必要度が問題とされる。これは現場の実際の流れと矛盾しない。成年後見制度の審判は、個人の精神機能の生活場面、社会関係場面での表れ方を軸にして、個別具体的な生活危機(当事者と相手方)により、法の保護が決定される事が望まれる。

またこのような能力概念は、個別的条件の多様性、生活危機の多様性において、類型的な分類は不可能であり、一元的なものとならざるを得ない。結果的にはニーズの変化に応じて、後見3類型の変化を求めて新たに審判を用意する手続きは省略できる。特に委任代理を用意する必然性はない。そして結局、意思能力剥奪という、抽象的な能力概念を前提にする包括的な能力剥奪が、全ての人々において放棄されざるを得ない。その動きを余儀なくするであろう。

我が国の法制度における能力制限の様態、その当事者生活への影響については、検討することができなかったが、課題として残されていると思われる。しかしドイツ法が既に一元的な制度として機能しておりモデルになり得るが、費用問題を抱えているドイツ世話法をどのようにモデルとするのかも課題であろう。 (目次へ)

参考文献)
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2) 同上 最高裁判所ホームページ
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11)同上  P142
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14)中園康夫・小田兼三監訳 『ノーマリゼーションの展開』 P39 学苑社 1994年4月 
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17)同上 P175
18)奥野英子 『障害者福祉論』 9章1節 P275-276 中央法規 1999年4月
19)末光茂  『障害者福祉論』Ⅰ章1節ノーマライゼーションの実現 P2 中央法規 1999年4月
20)中園康夫 『社会保障論の新潮流』 7バンクミケルセン P148 ADL(英語の ordinary daily lifeに相当する)有斐閣 1995年2月)
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22)平成12年度厚生白書 P218
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24) 『)介護支援専門員ポイントレッスン』 新星出版社 P10 2003年
25) 内田貴 契約の時代 『日本社会と契約法』 P29 岩波書店 2000年11月 
26) 同上
27) 同上 P28
28) 同上 P28-29
29) 同上 P28
30)石田喜久夫 『現代の契約法』 成文堂 2001年 5月
31)同上 巻頭のはじめに P1
32)石田喜久夫 『現代の契約法 』成文堂 2001年5月 P3-4
33)同上 P187
34)同上
35)同上 P188
36)潮見佳男 『契約法理の現代化』 有斐閣 2004年12月
37)同上 P313
38)同上
39)同上
40)同上 P314
41) 内田貢 『契約の時代』 P28 岩波書店 2000年11月 
42)同上 P22
43)内閣法制局法制用語研究会編  『法律用語辞典』  P1221 有斐閣 1997年12月
44)同上 P17  
45)内田貢 『契約の時代』 P5-9 岩波書店 2000年11月
46)同上 P159
47)同上 P69
48)最高裁判所事務総局家庭局  『実践成年後見No.10』 「成年後見事件の概況」 P民事法研究会 P76 2004年7月 
49)同上
50)小林秋彦・大門匡編著 『新成年後見制度の解説』 P225-226  (財)金融財政事情研究会 2000年4月 
51)小林秋彦・大門匡編著 『新成年後見制度の解説』 P226 (財)金融財政事情研究会 2000年4月
52) 浦井裕樹 「補助・保佐における同意権・代理権の考え方」 『実践成年後見No7.』  p4-10 民事法研究会 2003年10月
53)同上
54)吉田博  『実践成年後見No.7』 「補助人としての事務遂行上の留意点」 P29 民事法研究会 2003年10月 
55)同上 P29
56)五十嵐禎人 老年精神医学雑誌 2002Vol.1310 「地域福祉権利擁護事業における意思能力」  P1136 ワールドプランニング 
57)同上
58)斎藤正彦  『実践成年後見No.6』 「鑑定事例から見た能力判定の判断基準」 P34 民事法研究会 2003年4月
59)同上
60)最高裁判所事務総局家庭局 「新しい成年後見制度の鑑定書作成の手引き」 P5 2000年1月
61)http://www.jspn.or.jp/
62)(ICDは医学の全ての領域を網羅する診断分類体系であり、精神科領域の障害は第5章(F)にまとめられている。)
63)山崎晃資  『障害者福祉論Ⅲ』 3章1節 精神障害の理解と診断 P55 全国社会福祉協議会 1999年3月   
64) AREITE’S.AND BRODEI,H:AMERICANHANDBOOK OF PSYCHIATRY,SECOND EDITION TOL 7
65)水野紀子 『新しい成年後見をめざして』 2部1章「フランスにおける成人後見」 P105 野田愛子代表編者 すてっぷ 1995年9月  
66)世界保健機構(WHO) 『 ICF(国際生活機能分類)』 P3-6 中央法規 2002年8月
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68)高澤紀恵 『改訂版ヨーロッパの歴史』 P131 財放送大学教育振興会 2001年3月
69) 内田貴 『民法Ⅰ』 総則・物件総論 P124 東京大学出版会 2004年4月
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71)内田貴 『民法Ⅰ』 総則・物件総論 P107 東京大学出版会 2004年4月
72)同上
73))小林昭彦・大門匡編 『新成年後見制度の解説』 P51 金融財政事情研究会 2000年4月 
74)斎藤正彦 『実践成年後見No.6』 P35 「鑑定事例から見た能力判定の判断基準」 表1)補助及び保佐事例の概要 民事法研究会 2003年4月
75)同上 P36
76)松田修 「痴呆性疾患における心理アセスメントと社会生活機能に関する研究」 厚生労働科学研究補助金
 (21世紀型医療開開拓推進研究事業)痴呆性高齢者の権利擁護(H13-痴呆・骨折―005 主任研究者斎藤正彦) 平成13年度総括・分担研究書  P40 < 斎藤正彦 「鑑定事例からみた能力判定の判断基準」 『実践成年後見No.6』 P42の注より>
77) 斎藤正彦 「鑑定事例からみた能力判定の判断基準」 『実践成年後見No.6』 P36 民事法研究会 2003年7月
78)同上P42
79)同上
80)西山詮  『実践成年後見No.6』 「能力判定をめぐる理論・実務上の課題」 P16 民事法研究会 2003年7月
81)同上 P17
82)同上
83)http://www.eft.gr.jp/kaigi/adovo/seinenkoken/q5.htm
84)古屋道夫  『 実践成年後見No.1』 P195 「自閉症成人を抱える親として」 民事法研究会 2000年12月 
85)吉田博 『実践成年後見N0.7』 P29 「補助人としての事務遂行上の留意点」2003年10月 )
86)最高裁判所事務局家庭局 「成年後見制度における鑑定書作成の手引き」 2000年1月
87)同上
88)斎藤正彦 「鑑定事例からみた能力判定の判断基準」 『実践成年後見No.6』 P34 民事法研究会 2003年7月
89)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 日本評論社 P162 2000年3月
90)同上 P35
91)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 日本評論社 2000年3月 P154 
92)高村浩 『民事意思能力と裁判判断の基準』 P37 新日本法規 2002年5月
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94)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 P26 日本評論社 2000年3月 
95)同上  P146
96)同上
97)同上
98)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 P146 日本評論社 2000年3月
99)同上  P150
100)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 P307 日本評論社 2000年 3月
101)新井誠・西山詮編 『成年後見と意思能力』 P39 日本評論社 2002年7月
102)前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 P34 日本評論社 2000年 3月
103)同上 P34
104)同上 P37
105)新井誠・西山詮編 『成年後見と意思能力』 P38 日本評論社 2002年7月
106)同上P39 ( 中舎寛樹 意思能力・行為能力・責任能力・事理弁識能力 磯村保・河上正二・中舎寛樹 『民法トライアル教室』P19 有斐閣       1999年 19頁以下参照)
107)新井誠・西山詮編『成年後見と意思能力』P40 日本評論社 2002年7月
108)山崎信之  『実践成年後見No.6』  P53 「成年後見制度における診断書・鑑定書と審判」 民事法研究会 2003年7月
109)新井誠・西山詮編『成年後見と意思能力』P143 日本評論社 2002年7月
110)西山詮  『実践成年後見No.6』  P10 「能力判定をめぐる理論・実務上の課題」 民事法研究会 2003年7月
111)新井誠・西山詮編『成年後見と意思能力』 P40 3章 日本評論社2002年
112)山崎信之  『実践成年後見No.6』  P52 「成年後見制度における診断書・鑑定書と審判」 民事法研究会 2003年7月
113)山崎信之  『実践成年後見No.6』  P52 「成年後見制度における診断書・鑑定書と審判」 民事法研究会 2003年7月
114)五十嵐禎人 『 実践成年後見No.6』 P21 「能力判定の手法」 民事法研究会 2003年7月
115) 同上
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117)田山輝明 「新しい成年後見制度をめざして」ドイツにおける成年後見制度 P70 
  東京都社会福祉協議会 東京精神薄弱者・痴呆性高齢者権利擁護センター(愛称:すてっぷ)1995年9月
118)同上 P85
  新井誠『高齢社会の成年後見法』P102 有斐閣 1994年7月
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120)三木妙子 「新しい成年後見制度をめざして」ドイツにおける成年後見制度 P206 
  東京都社会福祉協議会 東京精神薄弱者・痴呆性高齢者権利擁護センター(愛称:すてっぷ)1995年9月
121)同上 P211
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124) 同上
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126) 道垣内弘人 『ゼミナール民法入門』 P488 日本経済新聞社 2003年11月
127)同上
128) 同上
129) 同上
130) 同上 P489
131) 前田泰 『民事精神鑑定と成年後見法』 P165-167 日本評論社 2000年 
132)五十嵐禎人 『成年後見法研究 第1号』 「日本の成年後見制度と精神医学ー新たな理念を活かした能力判定のあり方を探る」  P51
  成年後見法学会 2004年3月



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